驚異の宦官の歴史!去勢までして権力を志した者たち!

中国では長らく男性の性器を切断し、去勢した人たちによって構成される宦官が社会制度として導入されていました。

今日本に暮らす私たちにとって、去勢が制度に導入されるなんて・・・、信じられないですよね。

そんな宦官の不思議をまとめてみました。

宦官の始まり

元々は戦争で負けた異民族の捕虜や献上奴隷が去勢されて皇帝や皇宮に仕えたのが始まりだったと言います。宦官は中国だけでなく、世界中至る帝国で導入されていきました。役割としては、料理や清掃などの雑用や、財宝の管理、身辺警護、皇子の教育、官僚の摘発、皇帝と宰相の連絡。など、皇帝の周りの世話係を担当していました。男性が皇帝の住まう宮殿で仕事をすると、中国全土から集められた絶世の美女たちのハーレムたちを横取りしたり様々な問題が生じたので、生殖能力を失っている宦官が皇帝の世話係をすることは適任でした。

なぜ宦官を志したのか

生殖能力を失った者たちで構成された宦官ですが、自ら男性器を去勢し、宦官になる人が後を絶ちませんでした。これはなかなか奇怪な現象ではあるんですが、それもそのはず、皇帝の身辺を任されるということは、皇帝のお目にかかることができれば権力を握り、世の政(まつりごと)を意のままに動かすことができる可能性がありました。権力を握るため、国中の野心家たちが自ら去勢(自宮)し、宮殿へと集まって行ったのです。

中国では、一般人が権力を握る正規のルートとしては、科挙と呼ばれる厳しい試験に合格する必要があったのです。科挙に合格するためには、勉強を続けられる財力、勉強の才能、そして試験官との相性が必要不可欠でした。その点、宦官は才能もなく、財力もない庶民にとっては有力な出世ルートだったのです。

まさに持たざる者の人生逆転ホームランでした。

宦官の弊害

皇帝が常に自ら政務を行う名君であれば宦官をしっかりとコントロールすることができたため、問題は起きませんでした。しかしながら、皇帝は常に名君とは限りません。政治を宦官に任せきりにするような皇帝も中にはいます。

そうなってくると大変です。そもそも宦官と皇帝は利害が一致していません。宦官にとっては皇帝が政務を放り投げて怠ければ怠けるほど、宦官が権力を思うがままに行使することができるようになります。つまり、宦官はあの手この手で皇帝を怠けさせようとします。皇帝が遊んでいるときに政務を持ち込み、適切な判断を行えないようにしたり、美女だらけのハーレム施設を作り、皇帝を入り浸りにさせたり、怪しい薬を飲ませ衰弱させたり。

宦官たちはあの手この手で、皇帝を怠けさせました。しかも、その皇帝たちは、子供の頃から宦官によって甘やかされた教育が行われていますから、当然暗君が続くことになります。こうして宦官によって中国の数多の王朝は衰退していきました。

宦官はなぜなくならなかったか

宦官による専横、大きな問題を抱えながらも、中国の数千年にもわたる歴史の中、なくなることはありませんでした。一体何故でしょうか。

皇帝の相談役であり、皇帝と一蓮托生の関係だった。

宦官は幼少期から接しているため、気の許せる間柄であったと同時に、皇帝と一蓮托生の関係でした。宦官は皇帝の私的奴隷のような存在であり、皇帝以外の支持母体を持たないため、万が一皇帝が倒れてしまうと、宦官たちも一緒に倒れてしまう運命共同体だったのです。

宦官以外に皇帝権力を担う可能性があったのは、皇族や外戚といったものがありましたが、宦官以外に政治を任せてしまった場合、皇帝の座を簒奪される危険性がありました。その点、宦官は支持母体がなく、皇帝が倒れると同時に宦官も倒れてしまうため、宦官以外に政治を任せてしまうよりは宦官に任せてしまった方がまだ安全だったのです。去勢し生殖能力がないため、権力を握ったとしても1代限りでしし、当時の儒教文化の風習から、宦官は皇帝の寵愛を受けたとしても、蔑まされる身分でした。尊敬されない身分であったことが、皇帝から独立した権威を持つことができず、一蓮托生を可能にしたのです。

何故日本では行われなかったか

非常に便利な宦官システムですが、日本では導入されることはありませんでした。それにはいくつか理由があります。

一つは日本は異民族がいなかったということ。元々の宦官は戦争捕虜を去勢することで生まれましたが、日本ではそもそもの戦争があまりなく、捕虜にするという文化もありませんでした。また、日本は唐の時代より中国からの文化輸入が途絶えましたが、遣隋使や遣唐使が行われていた時代、中国では宮刑(去勢する刑)が行われていませんでした。したがって、宦官の文化を輸入するということもありませんでした。遊牧民の文化では家畜を去勢するということは度々行われていましたが、日本は遊牧民でなかったため、そうした文化もありませんでした。

もう一つは、日本では女性の地位が比較的高い状態にありました。中国では女性の地位が非常に低かったため、女性を責任のあるポジションにつけることはなく、大奥を取り仕切るということはできませんでした。それに対し、日本では大奥を女性たちが自らしっかりと運営しており、側室を取る場合も正室に対し気を遣う状態であったと言います。


宦官世界の歴史

4: 科学する人たち 2010/09/12(日) 07:23:16 0
宦官将軍っていうと鄭和の他にどんなのがいましたっけ
西洋ではナルセスってのがいましたが
鄭和


中国明代の武将。12歳の時に永楽帝に宦官として仕えるも軍功をあげて重用され、1405年から1433年までの南海への7度の大航海の指揮を委ねられた。鄭和の船団は東南アジア、インドからアラビア半島、アフリカにまで航海し、最も遠い地点ではアフリカ東海岸のマリンディ(現ケニアのマリンディ)まで到達した。本姓は馬、初名は三保で、宦官の最高位である太監だったことから、中国では三保太監あるいは三宝太監の通称で知られる。

6: 科学する人たち 2010/09/12(日) 09:40:28 0
>>4
将軍より文官に出世した香具師が多い<宦官

5: 科学する人たち 2010/09/12(日) 07:35:41 0

ギリシア・ローマには大勢いた。

7: 科学する人たち 2010/09/12(日) 09:55:56 0
北宋末の童貫

童 貫は、北宋末の政治家、軍人、宦官。字は道夫。開封の人。去勢され男性機能を失ったはずの宦官でありながら、多くの妻妾と養子を持ち筋骨隆々とした体躯で顎鬚まで生えていたという怪人物

11: 科学する人たち 2010/09/15(水) 03:21:09 0
>>7
宦官なのに顎鬚はえててムキムキマッチョという話なんだから、
男のままだったら凄かったんだろうな。もったいなさすぎる。

9: 科学する人たち 2010/09/14(火) 22:01:49 0
日本の大奥とは違って、中国では女の管理は女じゃ無理だったということか
中国の女怖いなぁ

13: 科学する人たち 2010/09/15(水) 07:15:35 0
>>9
管理する女も皇帝さまのお手つき。
宮官ってのがあるんだが、知らないか?

42: 科学する人たち 2010/10/02(土) 14:04:40 O
去勢されたから悪事に手を染める、ってこともないだろう。カストラートが腐敗してたなど聞いたことも無い。
むしろ「権力者のそばにいる」というほうが腐敗の原因だと思う。

43: 科学する人たち 2010/10/03(日) 11:05:34 0

宦官は日本に導入されることはなかったけど、
古代日本では本当に宦官は一人もいなかったのだろうか?

中国の制度を取捨選択する中での試行期間で少数の宦官がいたとしても不思議ではない。
その人達のその後の人生・地位はどうなっちゃんたんだろう?

44: 科学する人たち 2010/10/04(月) 01:47:13 0
>>43
古代とは何処までかというのはあるけど鎌倉時代より前とすると、
・ 平安時代の修行僧の自宮(宇治拾遺物語巻1第6)
・ 法然の弟子の女犯僧の宮刑(皇帝紀抄巻7)
なんかが去勢の例として文書に残っているね。
当然全てが記録の残るわけじゃないから多少はあったかもしれないね。

45: 科学する人たち 2010/10/04(月) 20:53:10 0
>>44
日本では宦官は取り入れられなかったことを考えるとそういう人たちは
単なる「やられ損」いや「取られ損」wだったわけですか?

46: 科学する人たち 2010/10/04(月) 23:49:17 0

>>43

居なかったと思われる。
日本では古来から人間の命は玉に宿るものとされ、
それゆえ「魂(たましい)」「御霊(みたま)」などと「タマ」と呼んだ。
その玉とは男性の睾丸および女性の卵巣であり、それを取ることは人の死を意味した。
この場合の死とは肉体ではなく精神的な意味の死。
そんな状態の人間を貴人の傍に仕えさせるなどあってはならないと考えたのだろう。

53: 科学する人たち 2010/10/11(月) 00:08:07 0

>>46

宮廷の使用人という立場での宦官は居なかった。但し、日本の律令に宮刑はあるよ。
破戒僧あたりに適応されたらしい。

49: 科学する人たち 2010/10/09(土) 00:59:42 O
中国の宦官手術が進んでいて殆ど失敗は無かったらしいね。
ローマがどうだったかといえば、こっちも安全性は高かったと考える。ヘリオガバルスみたいに、皇帝自身が宦官だった例がある。過半数が死ぬような手術を皇帝に施すなんぞ考えられない。命を救うための手術じゃないんだから。

ヘリオガバルス

血統上、カラカラ帝の従姉にあたるソエミアスは自身が夫との間にもうけた子息ヘリオガバルスが先帝カラカラの隠し子であると主張して反乱を起こした。戦いは既に帝位にあったマクリヌス側の敗北に終わり、セウェルス朝復権を名目としてわずか14歳のヘリオガバルスが皇帝に即位した。 しかし、彼の統治はしばしば今までも登場した暴君達の悪名すらも越える、ローマ史上最悪の君主として記憶されることとなった。ヘリオガバルスは放縦と奢侈に興じ、きわめて退廃的な性生活に耽溺し、しかもその性癖は倒錯的で常軌を逸したものであった。また、宗教面でも従来の慣習や制度を全て無視してエル・ガバルを主神とするなど極端な政策を行った。

50: 科学する人たち 2010/10/09(土) 02:08:18 0
>>49
ヘリオガバルスは宦官じゃなかったろ。少なくとも即位時は。
去勢したかどうかもわからんのじゃなかったか?

51: 科学する人たち 2010/10/09(土) 09:50:26 O

>>50
皇帝になってから去勢した(と噂された)わけだ。
過半数が死ぬ手術を皇帝が受けるなんて、幾らなんでも信憑性ゼロで誰も信じないでしょ。

それに、中国やヨーロッパには家畜を去勢する伝統があった。家畜がそんなに死んでは大損だから、去勢手術の技術はかなりのものだったと思うよ。

54: 科学する人たち 2010/10/11(月) 02:58:41 0
坊主は女色禁止なんだから、いっそ虚勢制度でも作ればよかったのに

55: 科学する人たち 2010/10/11(月) 09:34:19 O
>>54
還俗するときどうするの?

56: 科学する人たち 2010/10/11(月) 23:01:58 0
>>55
気にしないあるいは貴族だけ虚勢しない

74: 科学する人たち 2011/07/19(火) 15:58:00.18 0
日本だって宦官があった痕跡はあるよ。
継体天皇のあたりに事情があって廃止しちゃったんだろう。

78: 科学する人たち 2011/07/27(水) 01:07:14.08 0
>>74
律令には宮刑の規定はあるが、明確な実施記録はない。
かろうじて、破戒僧に実行したらしいくらいまでしかわかってない。

81: 科学する人たち 2011/12/04(日) 01:22:56.54 0
>>78
斬首とかと違って技術がいるから難しかったんだろうね

86: 科学する人たち 2012/01/01(日) 18:14:29.46 0
日本だとハーレムがそんなに大規模にならなかったからじゃないのかな
いくら大金持ちの権力者でも
そんなに多くの人間とやれないわなww
せいぜい10人か20でもういいわになるはずww
10人や20人の人間を管理するのだったら、専門の役所なんか別に
作る必要もない。中小企業の親父的な感覚で運営できる。

96: 科学する人たち 2012/05/21(月) 11:21:41.05 O
常に何千人も女を囲って。中国の後宮は無駄が多すぎじゃね?

104: 科学する人たち 2012/10/05(金) 23:13:39.94 0
>>96
江戸幕府の財政の6割は大奥が消費してらしいけど、
中国だと何割ぐらい消費していたんだろ?

105: 科学する人たち 2012/10/23(火) 22:13:50.65 0
>>104
宦官は宮廷の召使を兼ねていて
料理人でもあり掃除婦でもあったわけで
一方的に消費だけしてたわけじゃないだろ

118: 科学する人たち 2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN 0
去勢すると筋肉がつきにくくなって肉体的な攻撃性も減るって聞いたけど
新武術を創始した董海川とかはどうなんだろ

120: 科学する人たち 2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN 0

ていうか、鄭和は幼少時に去勢したけど身長180㎝、体重100キロの偉丈夫(宦官でもこの語は使えるかな?)に
成長したぞ。

ベトナム李朝の武人で宋との戦で大勝利を収めた李常傑も宦官。

宦官の武人はけっこういる。

121: 科学する人たち 2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN 0
>>120
ローマでもベリサリウスの後任のナルセスは宦官だね

ナルセス

宮廷に仕える官僚であったナルセスは、その実直な性格を買われ、やがて大財務官にまで出世した。532年、ニカの反乱で皇帝を救出した。折りしもユスティニアヌス1世のローマ帝国再復のための遠征は、名将ベリサリウスによって順調に進んでおり、イタリア半島一円を支配する東ゴート王国の征服成功まであと一歩のところまで来ていた。

122: 科学する人たち 2013/10/26(土) 20:09:34.62 0
ビザンチン帝国では宦官で国王がいたが中国はいないね。
反乱軍の指揮官止まりだ。

138: 科学する人たち 2014/05/29(木) 15:11:21.88 0
個人的に蔡倫が好きだ。
彼がいなかったら活字中毒の自分なんかとっくに死んでる。

蔡倫

木や竹、絹の布などに文字が書かれていた時代で製紙法を改良し、実用的な紙の製造普及に多大な貢献をした人物として知られている。

147: 科学する人たち 2014/10/19(日) 03:26:20.04 0
司馬遷は宦官じゃないだろ
宮刑にされただけで宦官として仕官したわけじゃないし
その宮刑だって死刑になるはずだったのに
どうしてもやり遂げたいことがあるからと
死刑の代わりに宮刑にしてもらったんだし

151: 科学する人たち 2014/12/14(日) 18:47:45.87 0
>>147
去勢されて士官していれば仕事が庭掃除でも宦官扱いだった

148: 科学する人たち 2014/10/19(日) 14:46:37.57 0

司馬遷は宦官にされた後も仕官しているぞ。

ただ、宦官でなけばできない後宮の仕事じゃないけどな。

150: 科学する人たち 2014/10/19(日) 16:33:20.74 0

司馬遷はやはり宦官だ。

刑余の者として宦官待遇だった筈。

152: 科学する人たち 2015/01/01(木) 23:50:56.12 0
とりあえず「宦官=去勢された男の官吏」が定義かな
宮刑受けても故郷で普通に生活する刑余者もいたらしいから

153: 科学する人たち 2015/01/08(木) 13:07:23.90 0
明代は宦官志望の自宮者が就職に失敗して故郷に帰る事もできずに
北京の周辺で追い剥ぎ強盗をしていたそうだ。

154: 科学する人たち 2015/03/26(木) 02:51:07.99 0
>>153
そもそも合格したら去勢させればいいのに逆なんだよね

155: 科学する人たち 2015/03/26(木) 03:15:24.72 0
偽物(普通の男)が紛れていないか毎日チェックとかしていたの?

158: 科学する人たち 2015/03/28(土) 21:36:31.86 0
>>155
してないから?毒(ろうあい)みたいなのが悪さ出来たんだと思う

159: 科学する人たち 2015/04/25(土) 16:33:55.42 0
>>155
毎日じゃないけどチェックはあった

167: 科学する人たち 2015/09/20(日) 22:53:41.64 0

wikiの「宦官」の項で

>去勢されたために子孫を残すことができず、
>権力を世襲することができない宦官は必要不可欠な存在であった。

の直後に

>後漢末の群雄の一人である曹操ですら、

云々とあって、え?と思う
曹操こそが宦官が権力を世襲した典型例だろうに

168: 科学する人たち 2015/09/21(月) 01:43:28.28 O
>>167
子供が出来てから宦官になる奴も居るし、甥を養子にする宦官も居るし「世襲できない」というのは眉唾だね。

169: 科学する人たち 2015/09/21(月) 21:26:56.84 0
皇帝が宦官を重用する理由として
家族がいないから皇帝を第一に考えてくれるとか
権力を持たせても一代限りだから安心とか説明があるけど
唐代の宦官なんて自分たちが大事で皇帝なんか軽んじてたし
曹吉祥は簒奪狙ったし
全然違う気が

170: 科学する人たち 2015/09/21(月) 21:50:53.20 O
>>169
そういう奴も居た、という話では。
強い使命感と倫理観で任務に励む自衛官や警察官の中にも、残念ながら人間の屑が紛れ込んでいるように。

171: 科学する人たち 2015/09/22(火) 09:31:49.77 0
>>170
家族がいないから皇帝を第一とか、一代限りとかの条件が外れると
他の官僚や外戚と何も変わらないから
特に重用する理由も無いんじゃないかなってこと
幼い頃の養育係なら親近感も沸くかもしれないけど
魚朝恩や曹吉祥は皇帝の幼少時代には接点が無いし

173: 科学する人たち 2015/09/25(金) 11:53:31.06 O
>>171
天涯孤独の人でもない限り、身内は居るんだよね。
中には妻子を養うために宦官になる人も居たし、居ないなら居ないで甥や姪を我が子のように可愛がる人なんて全然珍しくないし。

192: 科学する人たち 2017/06/26(月) 08:32:50.97 0
科挙に何度も落ちた人が宦官の道を選ぶってのもありそうな

193: 科学する人たち 2017/12/18(月) 16:06:25.52 0
>>192
明の王振がまんまそれ

引用元: ・中国の宦官史(part2)