日本では、世界史をヨーロッパ視点で学ぶため、語られることが少なく悪者扱いされやすいオスマン帝国。ユーラシアの中心に600年に及ぶ広大な領土を有した大帝国でした。
いやほんと、世界史の教科書とかだと、オスマン帝国の悪い商人たちが大陸を封鎖し、大陸経由の貿易を独占していたから、香料の値段が金と同じぐらいにつり上がっていたので、香料を求めて、新たな航路を求めた結果、大航海時代が始まったみたいな言い方されてますからね。散々な言われようだと思います。
ヨーロッパ視点で見たら悪者のオスマン帝国ですが、そのまま見れば、広大で強かったのは事実。悪者でもなんでもなく歴史上重要な帝国であることには間違いありません。
今回はそんな、オスマン帝国を見ていきたいと思います。
ユーラシアの中心に広大な領土を有し600年続いた
オスマン帝国は600年も続きました。これは非常に驚嘆すべきことです。他に大帝国といえば、陸帝国で最も強大な面積を有したモンゴル帝国がありますが、あちらはすぐに分裂崩壊してしまいましたし、伝説のローマ帝国とて、オスマン帝国以上の面積を有していたものの、早い段階で分割統治体制、分裂してしまいました。アレクサンドロスのギリシャに至っては死後すぐに分裂です。オスマン帝国は600年のうち少なくとも400年ぐらいは広大な領土を維持していました。
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1000年都ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させた
1000年間大陸の中心にして最強の帝国であった東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都コンスタンティノーブルを陥落させました。コンスタンティノーブルはローマの遺産を継承していたため、莫大な文化の蓄積があり、最先端の都市でしたが、当時オスマンのスルタンであるメフメト2世は、陥落させることに成功しました。1000年間無敵だったコンスタンティノープルを征服したメフメト2世は征服王の名を欲しいままにしました。
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大航海時代の契機となった。
オスマン帝国は地中海東部を完全に領土独占したため、ヨーロッパの国々がユーラシア西側の国と交易しようとすると、必ずオスマン帝国領土内を通過する必要が生じました。
そういった状況であったため、オスマン帝国はぼろ儲けチャンスです、交易に高い税金を要求し、ヨーロッパの物価が高騰、軍事対立が起これば交通遮断などオスマン帝国が完全に一人勝ちだったのです。
こうした状況を嫌った西欧諸国は、大陸ではなく海に航路を求め、新たな航路を開拓していきました。大航海時代の始まりです。この大航海時代により、オスマンを介さずに入手する新たな航路が見つかるまでは、事実上のオスマン帝国の天下だったといえます。
宗教や言語に民族に寛容であり公用語がなかった
大帝国といえば、言葉や宗教を統一し、国内の統制をはかっていくように見えます。実際ローマ帝国は国教をキリスト教としたりしました。しかし、オスマン帝国ではそういった統制を行いませんでした。
イスラム教は国教であるが、同時に税金を払う限りにおいて、他の占領下の民族に宗教も認めていました。また、言語についてもアラブ誤、ギリシャ語、アルメニア語、アッシリア語、ペルシャ語など様々な言語が混在し、使用されていました。
陥落させたコンスタンティノープルも、そのまま破壊するわけでもなく、そのまま首都としましたしね。
こうした寛容性が、長期間にわたる安定した統治を行えたといえます。
アナトリア700+シリアパレスチナ200+エジプト500+北アフリカ400+イラク100+アラビア紅海側200+東南ヨーロッパ1000
合計だとおよそ3千万人となる
これは同時代の仏英伊の合計人口に匹敵し、広範囲から引っかき集めた数字でしかないものの必ずしも少なくはない
もっともこのあと200年で西欧諸国は人口倍増するのに対しオスマンは遅々たる歩みで、一気にジリ貧になる
17世紀以降の西欧諸国の人口増加は新大陸からもたらせれた
ジャガイモやとうもろこしのおかげなのかな。
オスマン支配時代にバルカンの人口が減ってんだよな。
どれだけ過酷な支配だったんだ?
メフメト2世の征服から100年間は人口が急激に増えてるっぽい
150万人ほど増えて1.3倍くらいになってるけど、ムスリムが移住してきたのかな
1520年 1169万人
1566年 1500万人
1683年 3000万人
1856年 3535万人
1906年 2088万人
ほら人口が少ないのは事実だろ。
バルカン諸国と較べば十分人口が多い。
清やオスマンは失敗したのはなんでだろうな?
ロシアはビザンツから受け継いだキリスト教と専制、
モンゴルから受け継いだ獰猛さと専制を残しつつ西欧化したが正しいな。
日本も文化は残しつつ、政治・社会の構造を一気に変革した。
清朝は政治体制そのままで、西欧の技術だけ導入しようとしたが、
日清戦争での敗北で限界が露呈した。
オスマン帝国は一部の皇帝や官僚には危機感があってやる気もあったが、
守旧派の抵抗が激しくて近代化が遅れた。
19世紀にはお雇い外国人作戦と戦艦なの兵器購入。
お雇い外国人の給料は同じ階級でも1.5-2倍の破格対応。
しかし、イスラム教の影響で限界があった。アタチュルクはその限界を引き上げた。
オスマン帝国の人口は三千万とされていて、ケタ違いに少ない。
↓
フランス・イギリス
↓
イギリス・ロシア・ドイツ
↓
アメリカ・ソ連・ドイツ・日本
↓
アメリカ・ソ連
↓
アメリカ
アメリカの覇権が続くのか、それとも・・・
西欧の一般観光客にとってイスタンブールは異国情緒ある魅力的な観光地だったんだろうなぁ
医学や数学に強かったのは、隣にインドがあったおかげだが
ムスリムは自分の手柄のようにイスラーム科学をたたえるが、
当時の最先端科学を研究していた学者はイスラーム社会で厚遇されていたわけではない。
彼らもキリスト教社会と同じく、宗教裁判の危険にさらされていたのだ。
同調圧力をはねのける意志の強い人がたまたま出現・活躍できた時期があったというだけで、イスラーム社会が科学を推奨したことなどない。
イスラーム科学は、権力者が世俗主義を推し進めていた時代にもたらされたものである事実を忘れてはいけない。
もともとアラビア人の民族性が、およそ科学技術に不向き
ペルシャ人やユダヤ人のおかげで、どうにか支えられていたが
欧州が辺境だった頃が想像できないようじゃ、世界史は無理。
かなり長いな
アルバニアはヨーロッパの最貧国だし、ボスニアは内戦でグダグダだし
イスラムになると科学技術が一切発展しなくなるのがね
19世紀初めには旧態依然としたイスラム神学校とキリスト教徒の教育の差が歴然として、イスタンブールの750社のうち650社がキリスト教徒になった。
それに嫉妬したイスラム土人がキリスト教徒を虐殺しまくった。
最後に青年トルコ党が数百万人の虐殺をしてアナトリアからキリスト教徒を絶滅させてできたのが今のトルコ
現代の世界地図による先入観を捨てないと、歴史は見えてこない。
地中海沿岸のレベルが高く、アルプス以北のレベルが低かった。
ギリシャ・イタリア・スペインのレベルは、十分に高い。
中世においては、スペインはイスラム王朝、ギリシャはビザンチン帝国だったが。
キリスト教圏とイスラム教圏は、ギリシャとスペインを交換した。
強く意識していたし、周囲の国々もそれを認めていた
ビザンチン帝国1000年
オスマン帝国500年
ギリシャは、この三帝国だけで2000年のときを過ごした