後醍醐天皇という不屈の天才!〜島流し・南朝・息子切り捨て建武の新政へ〜

後醍醐天皇。日本歴史上稀に見る不屈の天才です。

後醍醐天皇が目指したのは天皇親政。すなわち天皇自ら政治を行っていくことで、それまでに行われた摂関政治、院政、幕府などの政治システムを否定するものでした。

時代にそぐわないため、失敗に終わりますが、自らが目指すべき政治を目指して一途に、何度失敗しても諦めず進んでいった天皇です。

今回はそんな後醍醐天皇の大失敗の数々を見ていきましょう!!!


鎌倉幕府倒幕を目指すも露見する

後醍醐天皇が鎌倉幕府討伐計画を立てるも、六波羅探題に見破られ、天皇側近らが処分される正中の変が起こります。側近たちは処分されますが、後醍醐天皇は知らぬ存ぜぬで押し通し、処分されませんでした。

再度幕府討伐を目指すも露見、挙兵するも失敗、島流し

側近たちを失いましたが、後醍醐天皇は諦めません。またしても倒幕計画を立て、またしても事前に露見します。今度は、京から脱出し挙兵しましたが、幕府の兵力に適わず捕縛され、島流しに遭います。

隠岐島から脱出し鎌倉幕府倒幕に成功する

隠岐島に流罪の身となった後醍醐天皇ですが、諦めません。島から脱出し再度倒幕を目指し挙兵します。

今度は、足利尊氏や新田義貞が動き出し、鎌倉幕府の討伐に成功します。

建武の新政、されど立ち行かず

倒幕に成功した後醍醐天皇は、建武の新政と呼ばれる天皇親政を行います。しかしながら現状を顧みない政策に不満が募り、立ち行かなくなります。

足利尊氏を暗殺しようとするも失敗し逆に息子の護良親王を捕らえられる。そして息子を見殺しに

後醍醐天皇はいうことの聞かなくなっていた足利尊氏の暗殺を試みます。そのために度外後天皇の子供、護良親王などを使い兵を集めますが、足利尊氏に事前に露見。後醍醐天皇は詰問を受けます。

その時後醍醐天皇は、親王が独断でやったことで、知らぬ存ぜぬで押し通し、親王を足利尊氏に引き渡すことに。

中央の政治闘争に敗れるものの南朝を設立する

足利尊氏と抗争になり、後醍醐天皇は敗北します。敗北後、吉野で新たな朝廷、南朝を起こし、足利尊氏の作った北朝に対抗し、南北朝時代を迎えることとなります。

といった具合で、負けても負けても諦めず、後醍醐天皇。政策的には時代にそぐわなかったのは問題ですが、諦めなければいずれは成熟する。そんな希望を与えてくれる天皇に思えます。