ビザンツ帝国とかいう歴史上最強の帝国!コンスタンティノープル1000年伝説!【東ローマ帝国】

ユーラシア大陸中心地という防衛上最悪の立地にありながら1200年もの栄華を築き上げたビザンツ帝国。まさに夢の帝国です。
日本は少なく見積もっても2000年以上は続いており、ビザンツ帝国よりも長い歴史を誇りますが、アジアの最果ての上、島国と防衛上最高の立地と、生存のプレッシャーがまるで違います。
そもそも日本は、外敵が攻めてきたのは2000年の間、元寇の2回しかありません。ビザンツ帝国は君臨していた1000年もの間戦争し続けています。

そんなすごい帝国、空前絶後の都市だったので、首都コンスタンティノープルがオスマントルコに陥落させられた後も、そのままイスタンブールと改宗され、オスマントルコの首都となっています。1000年都コンスタンティノープルは、オスマントルコにとっても憧れの地だったのです。

同時に、たった一都市、コンスタンティノープルを陥落させただけで、当時のオスマントルコのスルタンメフメト2世は征服王と呼ばれるようになりました。ビザンツ帝国には1000年の歴史の重みが詰まっているのがわかります。

今回はそうしたロマンあふれるビザンツ帝国をまとめてみましたよ!


227: 歴史科学家 2011/06/11(土) 17:15:54.31 0

1.わが国は最後の審判まで続く、地上の神の国、永遠のローマ帝国という強力なイデオロギー
2.古代ギリシャ・ローマから受け継いだ多くの遺産
3.歴史の要所要所で柔軟に体制を変革した(それを行える優秀な人材もいた)
4.東西交易の要所という恵まれた立地(但し東西南北から敵が攻めてくる)

5.世界屈指の難攻不落要塞であるコンスタンティノープル

243: 歴史科学家 2011/06/26(日) 23:19:20.23 P
>>227
それにしてもテオドシウス城壁チート杉だろ。
正直建てようと思えば建てれるレベルの壁だと思うんだけどなんであんなに特別視されるんかね?

293: 歴史科学家 2011/10/27(木) 23:16:17.97 0
帝国にとって最も危険な敵はオスマンで確定として、2番手はどこだろうね
ルーム・セルジューク、ヴェネツィア、ノルマン、ブルガリア、セルビア、ハンガリー付近が
有力候補と見るが

294: 歴史科学家 2011/10/27(木) 23:32:39.75 0
>>293
ラテン帝国を間接的に作ったヴェネツィアが最有力
領土を蚕食しまくって皇帝を宣言していたセルビアが次点
マンジケルトのルーム・セルジュークは3番手か4番手
その次は、アヴァール・ササン朝・正統カリフ・ウマイヤ朝などの
コンスタンティノープルに殴りこみをかけたグループがノミネートされ、
大穴でパライオロゴス朝・アンゲロス朝

295: 歴史科学家 2011/10/27(木) 23:39:36.41 0
>>294
>領土を蚕食しまくって皇帝を宣言していたセルビアが次点
これはセルビアじゃなくてブルガリアじゃないの。セルビアも後期になると、
ビザンツ帝国にとってわりと危険な存在だったけど、それ以外の時期なら、
圧倒的にブルガリアでしょ。皇帝を名乗ってた期間もブルガリアのほうが、
圧倒的に長かったと思うし。まぁ、どっちも最盛期が微妙にずれてるから、
どっちがビザンツ帝国にとって危険かどうかは時期によって違うんだけど。

296: 歴史科学家 2011/10/28(金) 00:01:52.57 0

>>295
シメオン1世のコンスタンティノープルにおける戴冠を失念していた
その意味で第一ブルガリア帝国を挙げなかったのは俺の誤り
入れるとしたら、ヴェネツィアとセルビアの間かな
最終的にシメオン1世はビザンツに打ち破られてしまうが

でも第二ブルガリア帝国は帝国にとって危険かと言われると
「ラテン帝国にとって」という但し書きがついたり、対象が微妙にずれる

297: 歴史科学家 2011/10/28(金) 00:13:03.11 0
>>296
確かに第2次ブルガリア帝国の最盛期はラテン帝国の時代だから、
ビザンツ帝国にとって危険だったかと訊かれると微妙かも知れない。
第1次ブルガリア帝国の最盛期ならビザンツ帝国を脅かしてたけど。

301: 歴史科学家 2011/10/28(金) 04:34:02.24 0
>>296
いやブルガリアは危険でしょ
ラテン帝国初期にあの辺りのギリシャ人が比較的すんなり支配下に入ったのはブルガリアの脅威があったからだし
エピロスもブルガリアにボコされて帝都奪還レースから脱落するし
ミカエル時代もコンスタンティン・ティフがキプチャクのベルケと結んで1264年にトラキアに侵入してくるし、
その後もシャルルのシチリア王国と同盟するし(ミカエルが姪を送ったあとは関係が改善するが)

340: 歴史科学家 2011/11/25(金) 14:26:19.14 0
>>324
ギリシャ系ユダヤ人の出身地が一番多いのもテサロニキですよね。やっぱり一番都会だったのですね。
>>293
ビザンツのライバルは、何の史観を中心にするかで着目する相手が違うでしょうね。
正教史観ならトルコだが、ユダヤ陰謀史観なら元々ビザンツ領だったベネチアがなんでビザンツと対立する事になったのかが一番気になる。
いや、陰謀史観なしの世界史でもそこは一番重要な方でしょうね。
キリスト教東西分裂以来のバチカンとビザンツとベネチアの関係の変化が現在までの西洋史の基調を成すと思います。
逆に遊牧民や民族移動中心史観だと全てのビザンツ周辺民族が対象となるだろう。トルコ系(セルジューク、オスマン、ハザール、ブルガール)、
スラブ系(セルビア、ウクライナ、ロシア)、ゲルマン系(ランゴバルド、バンダル、フランク、ノルマン)、アラブ人、クルド人、アルメニア人、ロマ等々。
結局、ローマ帝国滅亡後に地中海の全沿岸を再統一した国家はアラブ、トルコ、ナチス・ドイツ、米ソ含めて現在までない。

343: 歴史科学家 2011/11/25(金) 19:36:35.71 0
>>340
トルコなんか終わりのほうのチョイ役じゃん
最盛期のマケドニア朝含め、数世紀にわたって殴りあったブルガリアが一番だと思うぞ

298: 歴史科学家 2011/10/28(金) 00:24:42.52 0
危険度はともかく、迷惑度ならばローマ教皇や十字軍も負けちゃいない

299: 歴史科学家 2011/10/28(金) 00:32:47.63 0
元々、その教皇に協力を仰いだのは何処の誰だって話だよ。

302: 歴史科学家 2011/10/30(日) 09:09:07.30 0

>>299
躾の悪いボランティアが略奪したり、放火したり、領土分捕ったりしてきたら、
協力仰いだうんぬん関係なしに迷惑以外の何物でもないだろw

第4回十字軍は、半分は帝国の自爆なんだろうけど。頼った相手が悪過ぎた

第4回十字軍(だいよんかいじゅうじぐん、1202年 – 1204年)は、インノケンティウス3世によって呼びかけられ、フランスの諸侯とヴェネツィアを中心として行われた十字軍。当初の目的であった聖地には向かわず、キリスト教国の東ローマ帝国を攻略し、コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル・現イスタンブール)を陥落させ、略奪・殺戮の限りを尽くしたため、最も悪名の高い十字軍として知られる。
東ローマ帝国を一旦滅亡させたため、この地域のキリスト教国家の力を削ぎ、後のオスマン帝国による東ヨーロッパの大部分の支配の伏線のひとつとなった。通常は1453年のコンスタンティノープル陥落をもって東ローマ帝国が滅亡したとされるが、この第4回十字軍で東ローマは実質的に滅亡したと見る歴史家もいる。

Wikipedia:第4回十字軍

424: 歴史科学家 2012/03/22(木) 23:09:49.59 0
結局ユスティニアヌス時代かバシレイオス2世かどっちが最盛期なの

426: 歴史科学家 2012/03/23(金) 08:57:06.28 0

>>424
普通はバシレイオス2世になるでしょ。ユスティニアヌス1世は領土を広げこそしたものの、
逆に国力を疲弊させてしまったと言う人もいるし、彼の時代はまだローマ帝国最後の輝きという感じで、
ビザンツ帝国ではないと言う人もいる。ビザンツ帝国の最盛期と言えばバシレイオス2世の時代でしょ。

>>425
アナスタシウス1世は初期の東ローマ帝国の中ではかなり名君のほうだね。
ユスティニアヌス1世が広大な征服事業を行なえたのも彼のおかげと言われてるし。

430: 歴史科学家 2012/03/24(土) 02:51:10.93 0
「ビザンツ帝国は西ヨーロッパと違って古代のギリシア・ローマ文化を
水準を落とさずに維持していた」という
「ビザンツ先進国神話」が根強く残ってるな。
本当はそうじゃないんだろう?

432: 歴史科学家 2012/03/24(土) 08:24:11.80 0
>>430
とりあえず、アンナ・コムネナはコンスタンティノープルにやってきた十字軍の連中を、
野蛮な連中みたいな感じで書いてるね。当時のビザンツ帝国には西欧よりも自分たちのほうが、
進んでるという優越感があったんだろうね。教科書などでは古代ギリシャやローマの学問は、
イスラーム圏に伝わり保存され、それが西欧に伝わりルネサンスになったと良く言われるけど、
ビザンツ帝国もその保存に役立った。特に文学面の保存はビザンツ帝国の功績が大きい。
これらの点を考えるとビザンツ帝国のほうが西欧より先進的というのもそんなに間違いではないでしょ。

433: 歴史科学家 2012/03/24(土) 08:38:27.45 0

国民の半分以上が字を読み書きできて、ナイフとフォークで食事をし、お風呂にも入っている時点で、
同時期の西欧より洗練されていると思うけれど。

そういえば古代ローマ式の大浴場は姿を消してしまったけれど、市民達はどこで入浴したんだろう?
より小規模な銭湯が流行ったのか、自分の家に浴室があったのか。

434: 歴史科学家 2012/03/24(土) 09:23:33.66 0

>>433
神学論争もビザンツ帝国のほうがかなり広くで行なわれてたと言うしね。
基本的に先進的な社会だったことに異論はないね。

437: 歴史科学家 2012/03/24(土) 10:15:48.88 O
この板の書き込みでは「繁栄してたのは首都だけで、他のギリシャは停滞した
」みたいなのがよくあるが。

439: 歴史科学家 2012/03/24(土) 10:41:02.14 0
>>437
まぁビザンツ帝国は首都一極集中型だったからそういう意見は一理あるけど、
コンスタンティノープル以外にもそれなりに大きな都市はあったよ。
有名どころだとテッサロニキやアドリアノープルとかかな。

447: 歴史科学家 2012/03/24(土) 14:36:46.92 0
ビザンツ帝国時代に「東の」ローマ帝国とするのはどうなの。
単にローマ帝国と呼ぶのが普通だったじゃないの?
当時の人間の呼称に従うなら東をつけるのもダメだと思う。

448: 歴史科学家 2012/03/24(土) 14:38:37.70 0
>>447
ビザンツ帝国のイデオロギーとしては西ローマ帝国が滅んだ時点で、
東西ローマ皇帝の称号をビザンツ皇帝が持ってることになるからね。
そういう意味では「東」すら付けてはいけないことになるのかな。
あくまで当時の人々の呼称に従うのならという前提だけど。

495: 歴史科学家 2012/03/28(水) 19:55:06.47 O
この国は版図の変遷が激しいんだよなぁ
でかくなったと思ったら縮小したり最後はあんなに小さくなるし

497: 歴史科学家 2012/03/28(水) 21:42:52.83 0
>>495
個人的には、その変化の激しさがビザンツ帝国の魅力なんだけどね。
何度か大きくなったり小さくなったりを繰り返しながら1000年も生き延びてきた。

502: 歴史科学家 2012/03/29(木) 01:00:27.84 0
「誰でも皇帝になれる」制度だったから、皇位継承の争いがひどくなった、
とは聞く。
独特な継承方法だよな。
広い親族のなかから勝ちあがったものが継承する、みたいな。

503: 歴史科学家 2012/03/29(木) 07:46:53.82 0
>>502
ビザンツ皇帝は建前だけでも市民と元老院と軍によって選ばれた皇帝というのを守ってたからね。
実際は皇帝による完全な専制政治でも、ローマ帝国としての建前だけは残しといた。
だから血は関係なく、市民たちの支持さえあれば誰でも皇帝になれるということだったんだろうね。
バシレイオス1世みたいに農民から皇帝にまで成り上がったような人までいるのがこの国の面白い点だ。
こういうシステムが、皇帝になるためのクーデターや反乱を多くしてる要因かな。
歴代ビザンツ皇帝には畳で死ねてない皇帝がかなり多くいる。

509: 歴史科学家 2012/03/29(木) 12:18:54.87 0
ビザンツはみんなが読み書きできたから発展できた。
ラテン人の蛮族共にはそれが文弱に映ったようだけれど。

510: 歴史科学家 2012/03/29(木) 13:20:13.24 0

>>509
市民のレベルが高かったことは言えるだろうね。ビザンツ帝国では古代の文学が、
多く保存されたらしいけど、それを多くの人が読めるだけの下地があった。

513: 歴史科学家 2012/03/30(金) 00:58:03.65 O
西欧の貴族は中央志向が無く、
地元の開発に熱心だったのか?

514: 歴史科学家 2012/03/30(金) 10:06:19.55 0
そりゃまあ、封建制最盛期の中世貴族(諸侯・城主)は、自分の領土が
自己の権力に直結するから、独立・分権志向になるのは仕方ないわな

598: 歴史科学家 2012/05/02(水) 22:25:39.54 0
皇帝気に食わなきゃぶっ殺して俺がなってやるー
ってのは古代ローマ帝国からの伝統だから仕方ないのかね
まあそれが滅んだ要因でもあるなら有る意味本望だろうw

599: 歴史科学家 2012/05/02(水) 23:27:15.53 0
>>598
ある意味、実力さえあれば誰でもクーデターを起こして皇帝になれたという点では、
実力主義という見方もできなくはないのかも知れないね。しばしばビザンツ帝国では、
皇帝権力がかなり強かったと言われるけど、だからこそ皇帝の地位は不安定でもあった。
下手したらクーデターによって廃位される危険性を常にはらんでた訳だからね。

613: 歴史科学家 2012/05/22(火) 22:53:13.58 0
日本は室町、江戸と地方分権が進んで発展したのに
なぜビザンツは衰退したの?
実はプロノイア時代は地方が進歩した時代だったとか?

632: 歴史科学家 2012/06/14(木) 20:36:04.60 0
>>613
12世紀以降のビザンツは地方分権による経済損失をまかなう為に銀行制度の発達と
遠距離貿易を主眼に置くようになっていた。実際にビザンツの使節は東南アジアにまで
達しており、スマトラ島でもビザンツのコインが発見されている。
ただしこれらの政策は「王室がユダヤ教に改宗した」との噂の元ともなり、長期的には
貴族層の離反を招くことになった。

615: 歴史科学家 2012/05/23(水) 00:01:55.75 0
条件が違うからじゃないかな
周囲を海に囲まれて外部勢力との接触が少なく発展に時間をかけられた日本と、
文明と民族の十字路に居を構えて周辺勢力との軋轢に力を割かなければいけないビザンツ帝国では。

616: 歴史科学家 2012/05/23(水) 05:28:30.78 0

異民族の流入の有無が大きいな。
弥生時代以来、ほとんど流入のない日本や
中世初期には異民族の流入が止まった西欧は
例え弱体化する時代があってもいずれ立ち直る。

ところが、ビザンツのように疫病・戦乱で弱ってる時に
異民族に大量流入されると土地をそのまま乗っ取られてしまうんだ。

617: 歴史科学家 2012/05/23(水) 08:35:02.90 O
四方敵だらけだからな

946: 歴史科学家 2014/05/23(金) 10:27:11.56 0
ビザンツは滅ぼされたのがオスマン帝国で、ある意味良かったと思う。
オスマンはその後大帝国になり近隣西洋諸国を圧迫し近代まで続く長期国家となったし
首都も継承しイスラム寺院に改築されたけどハギアソフィア他旧寺院が現在まで保存されている。
やはりローマの後継国は強大な世界帝国だあってほしかったしね。
もしスラブ系の適当な国に滅ぼされてたら強国にもならず寿命も短く旧領土は分裂したまま
コンスタンティノポリスは廃墟になってたのではと思う。

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