毛利敬親とかいう知られざる幕末の英雄www

毛利敬親
幕末・長州藩では、木戸孝允や伊藤博文、高杉晋作などなど有名人物を多数輩出しますが、殿様の名前を知らない人は多いんじゃないでしょうか。長州藩って毛利家だったはずだけどどこへ行ったんだろう。そんなふとした疑問に思うこともあります。

それが毛利敬親という人物で、何事も家臣に任せて、保守派からの意見にも「そうせい」、改革派からの意見にも「そうせい」と言い、反対することがなく、「そうせい」としか言わなかったため、そうせい候と呼ばれたりしています。

信長とか家康、足利義満などなど、日本に広く知られた英雄に比べたら地味ではありますが、優秀な人材を集め、財政を再建し、倒幕を行い、最後は版籍奉還という自身の権力基盤を失う大改革に対しても反対しないなど、先を見据え、幕末期を乗り切った知られざる名君です。人任せの達人とも。

そんな毛利敬親についてまとめてみました!

1: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/09(木) 21:37:31
なぜ存在感ないんだろう


93: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/20(水) 23:26:50

そうせい公の官位は四賢侯と比べても同等以上なんだな。
ほんとうに>>1が思っているような存在感が無い人なら、とてもこういう遇し方はされまい。

毛利敬親 正一位
島津斉彬 正一位
松平春嶽 従一位
山内容堂 従一位
伊達宗城 従四位下

115: 日本@名無史さん 投稿日:2011/04/01(金) 10:00:33.43

>>1
よくそうせい侯と揶揄されるが、村田清風を抜擢して天保の改革推進した辺りは
とても意志薄弱な君主とは思えない行動力なんだよな。
土佐藩とかは殿様でも保守派を抑え切れずに、一度改革に失敗してるし。
まぁ幕府の横槍には敵わなかったんだけども。
版籍奉還の話を木戸からされたときも、藩内保守派を抑える為にしばらくは内緒にして欲しい
みたいなこと言ってる。

ただ、斉彬や容堂や慶喜みたいな煌びやかな才気とは無縁だし、現代の評価にしても影が薄いのはガチだがw

3: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/09(木) 22:15:42
敬親に世界観がなかった、といえばかれに酷だろう。しかし敬親の人物眼は侮れない。すぐれた人材を登用し適所に配するのも名君の務めだ

116: 日本@名無史さん 投稿日:2011/04/01(金) 10:04:31.54
そうせいは知らないが、容堂公に「長州藩はこれだ」と瓢箪ひっくり返して揶揄された話はあったな。
上より下が力を持ってるって。
元々長州藩は藩主っつか家老クラスがお飾りで、政務はその下の合議で行われてたとか。
それに対して久坂と酒入った周布がやり返して、土佐藩士に周布が狙われるんだがw

28: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/14(火) 07:03:48

あの時代のトップは有能だから上手くやれるとは限らないしな

徳川慶喜なんて単純なスペックだけなら物凄いのにへたれ扱いだし

39: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/18(土) 21:03:32
維新の原動力は長州なのに、何故か評価が低い
毛利敬親や世子はもっと評価されても良いと思う。

50: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/19(日) 19:18:42
「殿、領地を返上してください」なんてセリフ、
相手がそうせい公だからこそ許してくれると見込めるわけで、
島津の国父に藩士がそんな事言ったら、ブチキレて手打ちに
されるかもしれん。

57: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/20(月) 08:59:50

久光が西郷・大久保に激怒したのは、廃藩置県で大名を廃止されたからで、
自分が将軍になれなかったからではない。

そもそも、久光自身、幕末時点では公議政体派の中心人物だったわけで、
幕末は徳川を盟主とする大名連合政権をめざしていた。
特定の家による幕府独裁は不可能なことは悟っていたはず。

久光は、幕府滅亡後、自分がそれに取って代わろうとしたのではなく、
薩摩など有力諸侯による連合政権をめざしていたのに、家臣の西郷・大久保に
藩や大名そのものが否定されたから激怒した。

58: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/20(月) 09:30:32
敬親って人は凡百の大名とは違って、先覚意識はあった人だと思うよ
大藩の国父として大過なく勤め上げるだけのつもりなら
外様の分限で長井雅楽の輿論なんて必要ないし、京都外交も無用っちゃ無用だった
周布みたいな跳ね返りの官僚はいい気にだけさせておいて巧妙に中枢から外しておいた方が組織の維持のうえでは良かったのにも関わらず
むしろ大きな権限を与えて大いにやらせたのは明らかな敬親の意思だし、
事実上どん詰まりになって周布が辞意を申し出たときもかなり意思的と思われる慰留をしている
旺盛な行動者ではなかっただけで、敬親は極めて志士的な思想を持った人物だったような気がするな

66: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/25(土) 09:30:24
毛利敬親の存在感の無さは明治天皇の存在感のなさに通じる。
政治軍事の実務はその時々の内閣に任せて超然としているから、
当人が実際に何をしたという意味の存在感は薄い。

70: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/25(土) 21:50:50
敬親公の時はめっちゃやり易かったじゃん、
大日本帝国の運営もあのパターンでやりたいよネー
・・・てな感じの長州系官僚。薩摩系官僚もそんな物分りのよい殿様だったら
俺らも苦労しなくて済んだナーとひそかに思う
かくして幕末長州の政治体制が明治日本のプロトタイプとなった

74: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/28(火) 22:19:22
これほど人任せの天才も歴史上珍しい。

75: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/28(火) 22:47:18

任せきりにできるのは確かに才能と言える

細かい事まで口を出し過ぎる俺orz

83: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/08(金) 21:34:01
地方の大名では極めて珍しいことだが、没後の追贈とはいえ
毛利氏には官位の頂点である正一位に叙せられた人物が二人もいる。
毛利元就と毛利敬親だ。

88: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/18(月) 19:53:31

毛利元就と毛利敬親は、金を作る点でも政治的に有効に使ったという点でも
よくツボを押さえていたと思う。

収入:
元就の時代には石見銀山の奪取と開発
敬親の時代はには藩政改革でモノになった紙蝋塩といった特産品

支出:
元就の時代には朝廷献金で得た官位が数多の国人領主から一頭抜きん出るのに役立った
敬親の時代には朝廷工作にどんどん金をつぎ込んで長州の発言力を高めた

99: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/07(日) 22:11:14
そもそもあの時の長州藩主になって、毛利敬親以上の成果出せと言われできる奴なんて
戦国三傑だってまず無理w

100: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/08(月) 01:47:34
もし戦国三傑だったら、第一次長州征伐のときにいらないリーダーシップを発揮して
幕軍と対決しちゃっていただろうな。薩長同盟以前だから当然長州のぼろ負けで終了。
んで、藩主は下手すりゃ切腹。

引用元: http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1284035851/ 毛利敬親の存在感の無さは異常

コメント

  1. 名前:匿名 投稿日:2016/05/07(土) 01:07:52 ID:dccf4bc32 返信

    みあさんさすがやで!

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。