伊藤博文が山縣有朋より好かれる風潮ww

山縣有朋

伊藤博文

高杉晋作が倒幕の決め手となった高山寺決起を起こした時、伊藤博文は最初に駆けつけたのに対し、山縣有朋はギリギリまでどちらが勝つか、形勢を判断する日和見を行っていたという事で伊藤博文は山縣有朋を弟分とみなしていたとかいう話もありますが、当時から山縣有朋は庶民に不人気で、山縣有朋は先に死んだ伊藤博文に対し、一番いい時に死んだと言ったと言われています。今回はそんな伊藤博文と山縣有朋のまとめです!

1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/09/29(水) 01:14:30 ID:1NkqNcjR0
明治政府を牛耳ったヤツらです


322: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/02/08(水) 00:59:01.11 ID:osTtmkwo0
>>1 全員松下村塾出身らしいな。

 今で言うと松下政経塾出身か。

324: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/02/09(木) 12:55:06.68 ID:9YhkIK9tO
>>322
井上は松下村塾出身じゃないよ、松陰とも全く面識無いはず
村塾出身者とよくつるんでるから勘違いされやすいんだな

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/09/29(水) 08:14:11 ID:w9eIoWiRO
でも井上居なかったら明治政府崩壊してるよ。外国からの借金なしで黒字に持ってくなんて奇跡みたいなもん。それをやったんだから。

あと伊藤は権力の亡者ではないよかなりリベラル。新しい考えも受け入れてたし。

山縣についてはフォローできるとこ無いけど。

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/09/30(木) 23:22:06 ID:Ei8rw5ez0
確かに山県はイメージで損をしている

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/10/01(金) 05:56:43 ID:clQQjtQwO
伊藤は政治の天才(というか物事の流れを読む力とここぞの勝負運と調整力が尋常じゃない)

井上は財政の天才。この人はまさに天才。何で幕末期からあんなに資本主義理解してるんだろ。留学とかする前から財政感覚凄かったらしいね。

だけど山縣は天才じゃないから評価が低いのかもね。軍事の天才は大村が居たし山田もいた。
山田が陸軍大臣だったらもっと早く文民統制進んでたかもっていうのは否定できないし。

原と山縣が相次いで死んで、なんか色々暴走したから、尚更権力固めしてた山縣のイメージ悪い。

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/10/12(火) 19:59:23 ID:295/rXqG0
山県はイメージ悪いっつっても山城屋事件とか宮中某重大事件とか実際起してるしな

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/10/12(火) 21:50:51 ID:8Vi8Rg7J0
確かに善人は常に善。悪人は常に悪。
理想論が台頭した戦後昭和では仕方が無い面があるね。
世の中、悪い奴の方が意外にも善いことができる。
反対に善にとらわれたものは全体の利益を理解できない。
まあ、簡単に言えば人の上に立つものは時として
非人道的な行いを行う必要があるということ。
世の中、人間の感情のぶつかり合いだから簡単にはいかないもの。

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/10/27(水) 21:50:12 ID:xxWmZgj20
伊藤博文の当時の年収、現在の貨幣価値換算で4億8千万

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/10/28(木) 22:50:07 ID:1xfzzICh0
それでも彼らがいないと日本は異国の植民地になっていたであろう。
不平等条約改正によくぞ頑張った。

>>25
伊藤なんて明治まで生きていたのが奇跡だし、国益の観点からみると安いもんだ。
無謀とも言われた功山寺決起に高杉晋作に同調した少ない同士。
日露戦争での外交戦略。

山縣は、身内びいきがちと酷いな
でもシビリアンコントロールは、しっかり機能していて睨みをきかせていた。

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/10/30(土) 00:02:32 ID:lI+q0xgT0
>>シビリアンコントロール

山縣が終身現役軍人なので、はたしてシビリアンコントロールと言えるかという突っ込みは置いておいて、
枢密院議長にして元老である政治家としての判断を優先していたのは事実

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/11/28(日) 23:56:56 ID:tpIkbtiM0
山縣は信頼したKP分には任せ、その報酬(人事)も与えたので、派閥ができた
伊藤博文は、自らを恃むところが大きかったので、子分がついてこず派閥ができなかった

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/12/17(金) 18:20:05 ID:ILFuZq5IO
>>50
外遊後の大久保と木戸が丁度そんな感じだよな
大久保や山県のやり方が人心掌握しやすい事は重々承知してるだろうに、
結局伊藤も自身が見限った木戸と同じタイプの上司だった訳だ

73: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/12/23(木) 09:38:04 ID:SQhx1O+G0
井上馨って影薄いけど。調べたら日露戦争の時に首相になるかもって感じだったんだな。
なってたらもう少し扱いが変わってきてただろうに。

この三人の中じゃ一番出自がいいのにねえ。伊藤山県に抜かされちゃって。

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/12/27(月) 02:26:48 ID:V4Jmas1hO
>>73
井上本人の話でも分かるが衆を束ねるタイプではなかったのとあまりにも打算が利くので耐えるポストには向かないw

評判が悪かろうと陸軍を握り天皇を杖の音一つで黙らせる山縣みたいな凄みと忍耐のあるタイプでないと首相は無理。

84: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/01/15(土) 06:52:05 ID:CNR/CmK+0
>>75
晩年の明治天皇が枢密院で転寝した時、山県がサーベルか杖かで床をこつんと音を立てて叩いて起こしたって話な
黙らせた訳ではなく

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/01/05(水) 00:04:45 ID:cZcM7eng0
>>評判が悪かろうと陸軍を握り天皇を杖の音一つで黙らせる

そんな政治家しか運営できない明治国家体制が昭和の破局の原因か
元老の足の大きさにあった靴を作ったが、昭和の政治家には大きすぎて履きこなせなかった

85: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/01/21(金) 12:14:24 ID:RbxrfVCz0
山縣なんて所詮中間の出だし、奇兵隊があったからこそ出世できたようなもんでしょ。

154: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/05/07(土) 22:57:47.37 ID:AVP/zJNg0
日本人に民主主義は早すぎるのか・・・・・・?
しかし権力が都合良く国民を統制しようとしてるだけなのでは?

160: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/05/14(土) 16:36:55.61 ID:7E4aT7H60
>>154
現実見れば明らかじゃん。

山縣の睨みが無くなって10年と経たないうちに
山縣が築き上げた近代日本の社会や産業、外交関係は、
デモクラシーを標榜する愚民のエゴとヒステリーによってズタズタに引き裂かれ、
日本は発狂して破滅への泥沼戦争へと大暴走。

戦後も、イデオロギー選択に覆い隠されて愚民の意見が政策に反映されなかったから
日本は猛烈な勢いで発展できたけど、冷戦が終結して選挙が愚民による政策選択の場と
変貌を遂げるやいなや、山縣の死後と同様に腐敗・衰退の坂道を転げ落ちている。

164: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/06/17(金) 02:17:41.12 ID:RyRjMRRM0
伊藤は粋だけど品がないな

166: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/06/18(土) 10:18:32.41 ID:TB9DSxHfO
>>164
足軽出身だからしゃーない

172: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/07/14(木) 20:36:17.34 ID:V1g6c7Eo0
実際問題、政治の実力は山縣有朋>>>>>伊藤博文だと思う。
山縣は、軍人の大山巌、西郷従道とも話が出来るし、イギリス流の立憲制度にも理解を示していた。

伊藤は少し場当たり的で雑だ。

179: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/07/24(日) 02:37:34.79 ID:KdGVnMh80
つか山縣とか長州批判する左翼がいるが結局、それらの勢力を
取り除いた結果が第二次世界大戦なわけで。

183: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/08/15(月) 00:45:46.50 ID:YQhkFk9I0
山県とか見るべきところなんて何もねぇよ

186: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/08/15(月) 09:27:23.60 ID:jZvm6bWR0
>>183
軍部の頭を押さえる重し的な意味はあっただろう。
良くも悪くもあいつが生きてる間は、若手将校が上官の家に乗り込んで
タメ口ききながら酒奢らせてヒャッハーなんてことはなかった。

187: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/08/15(月) 19:51:52.70 ID:LdtWvIHv0
なんだかんだで山縣さんは歴戦のツワモノだからね。
伊藤さんすら高杉魔王の挙兵時、難しいと知りながらも命懸け力士隊と共に参戦した。

188: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/08/15(月) 23:50:53.63 ID:HfywB9170
>>186
まぁ山県は家でも気難しく元帥と呼ばれてたからな
そんな若手のナメた真似絶対許さなかっただろう

>>187
そこが山県の人間的魅力に欠ける由縁だよ
負けるかもしれない場面で真っ先に駆けつけた伊藤とどっちつかずの山県
よく言えば慎重だがただ日和ってるだけの風見鶏じゃねーか

199: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/08/24(水) 20:45:15.59 ID:3zLV38kH0
藩閥とは言わんが、元老制度は続けるべきだった
日本人に民主主義は早すぎた

201: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/08/25(木) 07:16:24.31 ID:P5K0KYef0
>>199
元老のなり手が居ないだろ
それとも元勲二世や三世に継がせるつもりなの?

204: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/08/25(木) 23:50:41.21 ID:nZfXJIIx0
>>201
山本権兵衛元老擁立運動というのがあったらしいが、
西園寺が握りつぶした

209: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/08/27(土) 12:39:24.26 ID:DCz9oQDk0
政党内閣じゃ国の統率は無理って事だと思う。
しかし、世襲元老というのもみっともないね。それに元老自体、
超憲法的存在。元老が後継選出の仕組を考えなかった罪は重い。

212: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/08/28(日) 00:26:28.66 ID:cGfnchctO
>>209
逆でしょ。軍や官僚など山県系の人材では国内の騒乱を
抑えられなくなったから、政党指導者である原を
推挙しなければならなくなった。
また国内統治において、最も山県の期待に応え喜ばせたのは、
山県と散々権力闘争を繰り返し嫌っていた政党の指導者である
原だったりする。
その後の混乱も、原が死んで政友会が分裂したのが大きいし、
それは政党間の問題だけじゃなく軍にも強いを影響あたえてる。

203: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/08/25(木) 23:16:35.05 ID:Y2h8Q3aF0
日露戦争までは士族や志士の生き残りがリードした
昭和はがり勉秀才ばかり増えた木戸のせいだな

208: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/08/27(土) 11:48:21.84 ID:h3z+II/Y0
西園寺は元老制度を憲政に不要なものとしてなくしたかったんだ。
だから、自分を最後にして新しい元老を作ろうとしなかった。
晩年は元老を辞退したがっていたが許されなかった。

231: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/09/08(木) 06:48:41.83 ID:AzjQZnJi0
吉田松陰「伊藤は才と学は幼く華もないが、性質が正直で周旋家の才がある」
西郷従道「伊藤さんは物知りで偉い人。しかし非常のことがあると、頭がくるいがちだった」
的確ですな。

325: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/02/17(金) 07:09:59.49 ID:UZ7L3Hvl0
伊藤と山県の力関係が逆転したのっていつだ?
明治14年の政変で大隈が失脚して伊藤が事実上の首班になったけど
明治後半は完全に自派閥を持たない伊藤は山県派に呑まれてる感じがするけど

327: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/02/26(日) 12:23:06.49 ID:qqPRUSoD0
>>325
日清戦争~日露戦争の間に拮抗・逆転があったように感じるな。

対外戦争の準備で軍事予算が膨らむ→
軍事を握る山縣の影響力強まる→
陸軍省・参謀本部の規模拡大→
軍需欲しい三菱・三井が金撒く→
山縣金脈→
更に影響力拡大

単純化し過ぎだと思うが伊藤は憲法~議会乗り切りの辺りでピーク過ぎたように思う。

367: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/05/24(木) 03:25:39.57 ID:Ij7tFegq0
そうだよ。陰険な性格で金に汚く、権力欲が旺盛で、人望が無い山縣は政治家からはもちろん
香淳皇后に遺伝的な事で難癖つけて皇室にまで影響力を伸ばそうとし、宮中からも国民からも凄く嫌われてた。
伊藤が亡くなった時は
「西郷、木戸、大久保、岩倉、みな去って行った。 伊藤は朕と最もうまの合う男であったが…」
と侍従にそう洩らして伊藤の死を惜しんだ明治天皇も、山縣のことは「キリギリス」と呼んで嫌っていた。

368: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/05/24(木) 11:43:43.45 ID:SZ7wQD7o0
でも昭和天皇は山縣を評価してたんだよね

370: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/05/25(金) 00:14:29.39 ID:tnSptRFC0
>>368
明治大帝、特に大正天皇には蛇蝎の如く嫌われていた

396: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/07/04(水) 21:27:51.28 ID:RVD+pRhyO
>>370
おとなしく元老の腹話術人形やってりゃ良かった明治・大正と、
臣民の暴走で途方もない汚名と命の危険をふっかけられた昭和とでは、
同じ天皇の言葉でもその重みは全然違うだろう。

375: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/05/27(日) 14:35:26.64 ID:flu5Pwiw0
金 井上
女 伊藤
権力 山縣

伊藤が一番憎めないw

416: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/12/14(金) 22:53:55.38 ID:RaAbOHqPO
原敬日記を読むと山縣と原の温度差に泣けるよね
山縣は原に対しては意外と誠実に期待寄せてるのに、原さんたら人の良さげな顔して影では
「オッサン拗ねさせたら面倒だしご機嫌とるか?あーカッタリーわ」的なノリが透けてて悲しすw
その延々繰り広げられる陸奥さん萌え日記の1/50程度で構わないから山縣を愛でてあげてよw

430: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/23(月) 10:58:22.50 ID:8NQ+ol6VO
単純に教祖様性質か否かかの差かと。

伊藤や木戸は決して面倒見も悪くないし親しみ易くて人望も有るけど
人を虜にして信者つくる教祖様タイプでは無いと思うよ。

伊藤の場合は既存の教団に上手く乗っかって活動してる印象だな。
青年時代は吉田松陰教の熱狂的信者さんに混じり込み活動し
晩年は陸奥宗光教の熱狂的信者さんに混じり込んで活動してたイメージ。
伊藤は混じらなかったが西郷(兄)も教祖様性質だと思う。

467: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2014/01/23(木) 00:02:25.92 ID:/5RSJoqd0
山縣有朋好きだけど、好きって言ったら怒られそうな雰囲気でいえないときが有る。

引用元: http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1285690470/ 【権力の】伊藤博文・山縣有朋・井上馨【亡者】

コメント

  1. 名前:匿名 投稿日:2017/04/03(月) 08:18:17 ID:83a3fc87b 返信

    山縣が生きてた間は「多少は独裁でも軍を制御する必要悪」って弁護が成り立つけど
    山縣が民主主義を否定したせいで軍が暴走する土台が出来て日本は自滅した
    山縣個人の力で軍人の暴走を一時的に抑えていたものの
    山縣がシビリアンコントロールを破壊した事で後の軍部の暴走の最大の原因を生んだ

    山縣が不死身で200歳くらいまで生きてれば軍は暴走しなかったと思うけど
    実際そんな事は不可能だったので山縣は途中で死んだ
    結局は統帥権干犯という山縣の負の遺産だけが残ってしまった
    山縣は政治的にも軍事的にも個人単位では賢明で優秀な人間だったのに
    一番肝心な国家を制御する政治システム自体を壊して軍に力を与え過ぎた
    だからこそ山縣という重鎮が生きてる内は大丈夫でも死んだら軍が暴走した
    ロシアのプーチンや中国共産党と一緒で、巨大権力で軍を制御するけど
    結局は個人の能力に依存するから本人が死んだら後が続かないっていう独裁の典型

    再評価っていうけど、、、
    この人は国家を守る上で一番大切な民主政治を破壊しただけだよ

  2. 名前:匿名 投稿日:2017/08/17(木) 17:20:56 ID:e55339d39 返信

    山縣の再評価されてるのは、民主主義を目指した政党派の評価が軒並み下がったからだと思う
    従来は、山縣=戦争主義で政党派=平和主義という見方が一般的だったけど、近年の研究で、実は政党派の方が無謀な戦争主義だったことがわかりはじめて、山縣より政党派の方が危険という見方になり始めた
    統帥権の独立も、政党派の強硬論に軍を利用させない為という現実的な理由があった事実も判明している
    実際、統帥権を利用して取り返しのつかない失敗をしたのは山縣ではなく憲政の神様と謳われた犬養毅だった

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