ビスマルクとかいう19世紀の覇者www〜ドイツ帝国を作り上げた名宰相〜

ビスマルク
デンマークをやっつけ、オーストリアをやっつけ、フランスをやっつけた後は、戦争を止め内政に徹したビスマルク。ナポレオンやヒトラーなど、欲を出しすぎて結局やられてしまった英雄とは大きくやり方が異なっています。

今回はそんなビスマルクについてまとめてみました!

1: 世界@名無史さん
ヨーロッパの平和安定をはかる一方国内統治を強化し、ドイツを強大国に育て上げた。
引退したら、たちまち世界大戦…

5: 世界@名無史さん

>>1
謀略・裏切り何でもありだからね。
それが優秀な政治家の条件とも言えるのだが。

俺はタレーラン。腰の座ったコウモリぶりに一票!

3: 世界@名無史さん
大久保利通は?
一国を作り上げたという点では同格かと

37: 世界@名無史さん

>>3
大久保がビスマルクをまねたんでしょ?

岩倉使節団の一員として訪欧しビ宰相と会見、
「万国公法も対戦時には関係ない、大国の論理が勝つのだ」
とか言われ(あいまいですが)激しく衝撃を受けた。
それ以降、ドイツが明治政府の手本になったとか。
大久保のヒゲもビスマルク真似だったような。


13: 世界@名無史さん

まず、どんな政治家を高評価とするのか。

世界全体に大きな影響を与えたなら、ナポレオンやスターリンの方が上だろう。
一つの国に平和と繁栄をもたらしたなら、ハールーン=アッラシードや徳川家康も。
強大な国家を作り上げたなら、歴代中国の初代皇帝にはかなわないのではないか。

ビスマルクの能力は外交調整の巧みさ、それでいうならタレーランか、
パーマストンも同等程度の政治家といえる。

16: 世界@名無史さん
ウィルヘルム2世はどうしようもなかったな。
軍国プロイセンなんて近代では彼だけでしょ。
英国やフランスの方が余程軍国的。

18: 世界@名無史さん

近代以前の政治家だと、どうしても君主の意向を実現させるために働く、
(それか君主自身が有能な政治を司る)というイメージが強く、
国家を繁栄させるためとか国民の平和を守るため、という現代の価値で言う
有能な政治家を挙げるのは難しい。

ということで19世紀以降に限った話とすると、ビスマルク以上・・・
戦時中=チャーチル
平和時=ゴルバチョフ
両方において次点=ラーマ5世
なんてどう?

29: 世界@名無史さん

ゴルビーは当時ロシア国内では、「国家をバラバラにした張本人」ってんで
人気が低かったようだけど、自由主義が定着した今になってのの評価は
また違ったものがあるのかな。

国内外とも意のままに操ったビスマルクの方が凄みは感じる。
世界に与えた影響力はゴルビーのほうが上だとしても。

39: 世界@名無史さん

俺は3ではないが、軍事国家としてほぼ完成されていたプロイセンを
継承してドイツをまとめあげたビスマルクと、封建社会を叩き壊して
全く新しい(モデルはあったものの)国家を作り上げた大久保を同列に
論じることはできないと思う。

もちろん大久保がビスマルクを尊敬していたことは事実だし、目的の
ために手段を選ばない非情な采配を振るったところも彼の影響を受けた
のだろうが。ただ明治維新で大久保が担わなければならなかった役割は
決してビスマルク以下ではなかったはずだ。

52: ◆RlujhF6VrA
ビスマルクの最大の欠点は、自分の後継者を育てていなかった
(或いは、敢えて育てなかった)ことだろうな。
恐らくは権力志向が強すぎた。
この点でリシュリューやカウニッツに劣る。
(実はメッテルニヒを引き上げたのがカウニッツ)

68: 世界@名無史さん
当時彼がめざしたのは、国家の統一とその後の平和安定。
ナポレオンやヴィル2世のように対外膨張主義はとらなかった。
だから現代だったら今の勢力維持に努めるだろうね。
東西分裂期ならあるいは大胆な行動に出たかも。

97: 世界@名無史さん
問題なのは、その「自国の利益」に貪欲になりすぎて
普仏戦後フランスに大きな恨みを持たれるだろ?
自分がいる間は大丈夫だって思ったのかもしれないけど、
恨みの感情は世代を超えて継承される事を考えると
やっぱりやりすぎだったといわざるを得ない。
おまけにベルサイユ宮殿で皇帝即位式やったりして
そりゃフランスも「いつか見てろ」の思いを持つって。

100: ◆RlujhF6VrA

>>97
ただ、どこまで彼の発案だったかは微妙なものがあるんだな。
普仏戦争のやり方にしても、彼自身はパリの兵糧攻め&入城には
反対だったが、軍部の作戦に余り口を出せずにああなったらしいし。
(軍にすれば普襖戦争でウィーン入城を止めさせられたから、
今度は自分たちの好きなようにやらせてもらいたいということ
だった模様。結局駆け引きがあったらしい)

しかしフランスは、パリ・コミューンのことは都合よく
忘れてるんだよなあ。フランス政府がプロイセン軍に支援されて
鎮圧したという、あの社会主義運動。
市民は「フランス政府が」鎮圧したということを忘れ、
政府は「プロイセン軍に支援されて」鎮圧したことを忘れている。

ナポレオン三世がセダンで降伏した後、政権交代が上手くいってれば
その後の展開が違ったかも知れんのだが。

101: 世界@名無史さん
>>100
じゃあベルサイユ宮殿での即位式は
どういう意味というか、背景があるの?
あれはどう見ても、死人に鞭打つ、勝者の傲慢に見え
あんまり配慮のある行為とは思われないのだが。

103: ◆RlujhF6VrA

>>101
ナポレオン三世が退位した後に「国防政府」が成立して
プロイセンとの戦争継続を決定した。
これと戦うことになり、1870年の秋頃からプロイセン軍は
パリ包囲のために本陣をヴェルサイユに置いていた。
どうやら、この頃国王がフランスに来たらしい。
即位式の頃には、まだ正式には普仏戦争は継続していた。
(講和条約締結が即位式から約一ヶ月後の二月下旬)

更に、国王自身は実は「ドイツ皇帝」になりたくなかった。
要は「プロイセン」に誇りを持ち、固執していた。
結局バイエルン国王などが帝冠を提供するという形で皇帝に
なったんだが、この付近を考慮すると
国王がヴェルサイユにいるうちに(つまり本国に帰る前に)
やってしまいたかったんでないかと思う。

実はビスマルク・ドイツ関係の本読んでも、この辺の理由について
明確に書いてないんだ。
フランスにすれば敗戦そのものとアルザス・ロレーヌ割譲と
賠償金の方が重要らしく、戴冠式自体はどうも余り重要視されて
ないらしい。
ナポレオン三世後の政府が早期講和をしていれば、
ヴェルサイユで戴冠式を挙げることもなかったかも知れない。

102: 世界@名無史さん
ビスマルクには大モルトケがいた。
2人の仲は個人的にはあまり良くなかったようだが、
政治家と軍人の関係としては理想的といえる。

136: 世界@名無史さん

>>ビスマルクとスターリンの比較

時代背景が違うのでどうやったって無理があるのだが、
ヒトラーみたいなロシアに領域を広げることを至上命題とする君主がいたとして、
ビスマルクは当時の英仏宥和政策を最大限利用するだろう。
もちろんラインラントには手をつけないだろうし、スペイン内乱にも首を突っ込まない。
ひたすら東方を向いてチャンスを待つ。あるいは相手を刺激してそれを作り出す。

さてスターリンがうまく挑発に乗って対戦となる。
ポーランドは気の毒だが戦場となり、電撃戦に強いドイツが占領するだろう。
一つ確実なことは、ビスマルクはナチスのような失敗は絶対にしないだろう。
つまり同盟国がバルカンで苦労していても、自身の立てた計画を変更させてまで
救出に向かうことは絶対にしない、ということだ。

ビスマルクは必ず、ロシア最大の味方「冬将軍」がやってくる前にモスクワを陥落させる。
その目算が無い限り戦争は始めないだろうし、君主が強行しようとすると自身が降りてしまうに違いない。
モスクワ陥落、ソ連国内の動揺を見越して講和を持ちかける。
ソ連もブレスト=リトフスク条約でいったん手放した程度の領土ならば応じるはず。
世界対戦への波及を恐れる英仏は、共産国の敗北ということもあって「この程度なら」と黙認。
かくしてビスマルク=ドイツの圧勝に終わる。

141: 世界@名無史さん
ビスマルクの退位後どうしてああも見事にプロイセンは孤立主義を歩んだの?

145: 世界@名無史さん

>>141
何処の国とも中途半端に付き合っていたから、
何処の国とも直接的に敵対しない変りに、何処の国とも友好関係を築けなかった。
卓越した外交手腕をもつものがいて、始めてとれるバランスだったので、
ビスマルク亡き後あのようになるのは、当然の帰結。

もっと言えば露西亜との農業問題、英国との建艦競争、
そして仏蘭西とは昔から仲悪い。

205: 世界@名無史さん
中学の時、図書館でまんが世界の歴史(学研の)見て以来ビスマルクファンとなって
しまった。特にビスマルクがウィルヘルム2世から引退を勧告された時に
潔くそれを受け入れる場面がかっこよかった。だけど、実際こんなにあっさり
と政界から身を引いたのかな?

207: 世界@名無史さん
>>205
2世とはあまりにも方針が違いすぎたからね。
2世自身も、「いつまでも古い船頭にこの国を任せておけない」
と言って自ら新航路政策の陣頭指揮を取ったところからすると、
ビスマルクの側には引退のほか選択の余地がなかったのでしょう。

209: 世界@名無史さん

>>205
>潔くそれを受け入れる
宰相は皇帝にのみ責任を負う、という原則を強調してきたビスマルクの自業自得やね。

自分とそりの合わない人物が皇帝になったときどうするか?
彼も国制上の問題点に気づかなかったわけでなかったが、議会に依拠することも今更できなかった。
(社会主義者鎮圧法のゴリ押しで議会の多数派を失う。)
だから、クビ通告されたときには、ビスマルク体制はいろいろ行き詰まっていたというのが実状でしょう。

あと、ポイントはヴィルヘルム2世がそれなりに有能で覇気のある人物だったこと。
第二帝政みたいなシステムじゃ皇帝親裁の建前がいつでも現実に変わりうる。
(同様の国制を取る戦前の日本でも、大正天皇や昭和天皇は凡庸で大人しい人物だったが、
後醍醐タイプの人間が即位していたら・・・・と考えるとちょっと面白い。)

逆に言うと、(自らの凡庸さの自覚の上に)基本的にビスマルクを信頼し彼に万事お任せしていた
ヴィルヘルム1世はもっと評価されていいと思います。

320: 世界@名無史さん
ナポレオン3世はビスマルクの引き立て役になってしまった印象があるけど
実は内政外政ともに優れた政治家だったのではないでしょうか。

321: Ryuju ◆RlujhF6VrA
>>320
外交に関してはメキシコでも失敗してるし、日本でも幕府の方に肩入れしてるから
ちょっと疑問だけど、内政に関しては確かに悪くなかったと思う。
ビスマルクの先鞭とも言える労働者への保険立法もやってるしね。
外交の凡人が外交の天才に負けたというだけの話なのかも知れない。
319: 世界@名無史さん

エムス電報事件、最初に聞いた時はすごい技だなーって思ったけど、
よく考えると今普通に行われているメディア操作・世論操作だよね?
今回のイラク人質事件なんて、大騒ぎの中どこまでが自分独自の考えで、
どこからがマスの見方・政府の持って行きたい方向なのか
なんだかわからなくなっちゃったよ。

そう考えるとメディア戦略を考えたビスマルクはやっぱ偉大だと思う。

999: 世界@名無史さん

世界最初にメディア戦略を駆使した人ってことだな

引用元: http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1069478998/ ビスマルク以上の政治家はいるか?!

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