清廉潔白宰相大久保利通www

大久保利通
維新の三傑である大久保利通。権力者になったのにもかかわらず、死後借金達磨であることが判明するなど、確変期にしか登場しないような清廉潔白すぎる政治家でした。そんな大久保利通似ついてのまとめです!

28: 日本@名無史さん

伊藤が内務卿になった時代に内務省を某人物が訪ねた。
伊藤は朝っぱらから昨夜の女遊びについて部下たちと談笑していたという。
大久保内務卿の時代には内務省全体が緊張感に包まれていたというのに、何という緩み方であろうかと某人物は嘆いたという。

廟議の席でも大久保が姿を見せると一同の私語が止み、幕末の血風を潜り抜けて来た猛者たちに緊張が走って静粛になったという。
帝国議会で罵声を浴びまくっていた伊藤の不甲斐なさとは比較にもならない。

30: 日本@名無史さん

大久保の威厳というか恐さを引き継いだのは伊藤じゃなくて山県だったね。
山県が大久保の振舞い方を真似たと言った方が正確かな。

御前会議の最中、天皇が疲れて居眠りをしていたら
山県が持っていたステッキで天皇の足を小突いて起こした話は有名だな。

47: 日本@名無史さん
利を通す。
彼らしい名前だね


49: 日本@名無史さん
素は無口らしい。

64: 日本@名無史さん
結果として最も長持ちする道を選択したという気がするよ。
仮に大久保がねじ伏せてきた政敵たち、つまり一橋慶喜、木戸孝允、江藤新平、西郷隆盛等々がもし大久保から主導権を奪う事に成功していたら、
政局は更なる混迷を強いられていたとしか思えない。
改革というのは何をどういじっても、どこかで構築されている既得権益を大なり小なり破壊する。
効果的な改革であればあるだけ、破壊される既得権益を守る為に抵抗勢力に回る人間が増える。
シベリア鉄道が極東に到達する迄にロシアに拮抗しうる勢力に成長しなくてはならないという期限が切られていた当時の日本は、
痛みを恐れて議論や根回しに明け暮れる無難な道を選択してる余裕などなかった。

65: 日本@名無史さん

>>64
しかし大久保は西南以後そうゆう自分に耐えられなく成って居たんじゃないの?
一方では自分以外日本の国政を担える人間は居ないと思いつつ
もう一方では西郷と同じく侍として死にたい、もう楽に成りたいという気持ちが同居していた
実際この局面までこの働きをしたこの大久保利通って人の精神力は尋常じゃあ無いよ
維新後保身に走った勝や序盤でもう精神病見たいに成った木戸とか見れば
この新政府執権と言う立場がどれ程辛いモンか分かる。

大久保を暗殺した連中はすぐその後大宰府に出頭したらしいが
その首謀者の供述調書に大久保の事が書かれている。

まず大久保は馬車を取り囲んだ暗殺者へ「そんな大声を出すな!少し待て!」と大声で一喝し
外に出た後は笑顔を浮かべて「さあ、やれ」って言ったそうだ。
これが当時の彼の心情を表している。

ともかく大久保の跡引き継いだ伊藤や山県なんてえのは格が2枚も3枚も落ちる。
特に山県は大久保ってゆう上司の部下とゆう身分では優秀な人間だったが
自らが権力握ってからはまったくアホになった。
大久保の様に自分の権益を強固にはするが国益を同時に同じ秤に入れて計れる様な人間では無かった。
結局後々日本が自壊して行く基礎を山県が作った様なモン。

78: 日本@名無史さん
あれだけの権力を掴みながら、
私腹を肥やし、巨万の富を築こうとしなかったところが
偉いよね

79: 日本@名無史さん
同意。あの当時の政府で私服を肥やさなかったのは大久保と西郷くらいなんじゃないか?

81: 日本@名無史さん

長州では、木戸と伊藤は遺産を残してないのでシロ。他は知らないw
薩摩閥は西郷に従って下野した連中が利権に恋々としていた筈が無いので、その連中は皆シロだろう。
北海道の官営施設払い下げで薩摩閥の汚職として叩かれた五代友厚も、自分の財閥を築いて残した訳ではないので汚職というのは強引。
むしろ五代は、民業振興の呼び水とする事を念頭においていただけに過ぎないフシがある。

だが、松方正義あたりは公爵にまで上り詰めてるあたり、次第に権力欲に溺れていたのかも知れない。
大久保家や西郷家あたりが侯爵どまりであるのにくらべ、明らかに分不相応だ。

85: 日本@名無史さん
松方家は実の息子でさえ自ら返上するほど、露骨に分不相応だったんだよ。
西郷、大久保の偉功が侯爵クラスなのに、松方デフレ一つで公爵っつーのは無理あるだろってね。

113: 日本@名無史さん
大久保がいなければ日本は最初の10年間であんなに近代化できなかっただろうな。

115: 日本@名無史さん
>>113
大久保って明治初期はどちらかと言うと保守派だったらしいじゃん。
外遊してから改革派に転向したらしいけど。
こいつ、ほんとに倒幕前から新政府の構想があったのかな?
木戸や西郷がいなかったら明治10年になっても徴兵制も廃藩置県も実行されなかった気がする

118: 日本@名無史さん

>>115
大隈とかは自著ではっきりと木戸=進歩派、大久保=保守派と言い切ってるな。
そもそも藩主の力が弱い上に民兵までいる長州出身と、藩主に権力があって士族中心の薩摩出身
では支持母体の差がありすぎる。
大久保、木戸の日記を見れば大久保が徴兵制とかに反対してたのがわかるし、
逆に反対してなかったら明治初期に暗殺されてただろうよ。

で、大久保が改革に強気になれたのは西郷や木戸が政府の土台を作ってくれた後ってわけ

123: 日本@名無史さん
>>118
廃藩置県が実現したのは新政府に軍事力があったからで、
軍事力があったのは、大久保が岩倉を勅使に仕立てて
薩摩長州土佐の藩兵を上京させたから。
木戸の先見や西郷の度量で出来たんじゃないよ。

126: 日本@名無史さん
まあ大久保が保守派、改革派は別として明治の10年間での改革のスピードはまさに猛スピードだよな。
たった10年の間に
行政面では遷都、官制改革、版籍奉還、廃藩置県、四民平等、徴兵令、学生発布、廃刀令、地租改正、新貨条例
通信面では関所の廃止、電信網の設置、郵便事業の開設、鉄道の敷設
文明面では製糸場、造船所の設置、銀座に洋風の町並みの建設、国立銀行の設立
とまあこんなに近代化への改革をしたんだからな。

134: 日本@名無史さん

大久保の凄さというのは、理想に向かって盲目的に全力疾走しないという事だろう。
おうおうにして権力を握った理想主義者は、事を急ぎ過ぎて全てを台無しにする危険がある。
その端的な例は、敵を作り過ぎて自滅した江藤新平の挫折だ。

かつて大久保は薩摩において、戦国以来の伝統が確立していた和流砲術を批判した村田経芳の後ろ盾となっていた。
新式銃の研究や高額な火薬の調達などを殆ど自腹で続けていた村田に色々と協力していたが、
その一方で守旧派の反発が強かった兵器体系の性急な改革には、村田を制してなかなかGOサインを出そうとしなかった。

伝統的な和流砲術派と無闇に敵対すれば却って争いが長引き、結果的に兵器改革の妨げとなる事を読んでいたからだろう。
村田が藩のお墨付きを得て新式銃の採用とノウハウの伝授を指導する役職に就いたのは、薩英戦争の直後の事となる。
大久保は、村田に権限を与えて改革を始める最適のタイミングを、虎視眈々と待ち続けていたのだ。

170: 日本@名無史さん
大久保は既に薩摩で絶大な発言力を確立していたよ。
しばらく海外旅行してきただけで、帰国した途端に西郷、板垣、江藤あたりが実行寸前だった朝鮮への使節派遣を強引に覆すほどにレベルアップしたとでも思ってるのか?

173: 日本@名無史さん
>>170
明治2年7月の政変とか調べてみれ。
木戸が病欠してる間に大久保、岩倉が木戸派を政権から追い出したが
その政権は10日間ほどで崩壊、木戸に主導権を奪い返された。

175: 日本@名無史さん
>>170
薩摩内ではな。
新政府となると、長州や朝廷出身者や実務官僚として土肥出身者や元幕臣とかいて
勢力均衡を図りつつポストも分配してて大久保は西郷・木戸より下であったのはもちろん
大隈より格下の扱いを受けていた時期もある。
洋行前は伊藤・井上よりちょい上ぐらいだぞ。

177: 日本@名無史さん
何で洋行したくらいで木戸は壊れたの?
大久保の方は何かに開眼したみたいだが。

179: 日本@名無史さん
>>177
当時のビスマルクは世界の超有名政治家だから、
そんな人に厚遇されて変なやる気を出したんじゃねぇの?
ビスマルク

181: 日本@名無史さん
>>177
木戸は内省的な愚痴っぽい男だったから外国の発展ぶりを見て鬱になった。
大久保はやる気を出した。その違いだ罠。

185: 日本@名無史さん

明治初期の薩摩閥は概ね3派に大別される。
最大派閥は西郷に心酔する過激な武士道主義者。桐野利秋、篠原国幹、村田新八などが代表格。

次いで大久保の元に結集する国家主義の官僚や軍人たち。西郷従道、大山巌、黒田清隆、川路利良などが代表格。

そして少数ながら、島津家への忠義を最重視する封建的な守旧派が居た。大山綱良などが代表格。

薩摩閥で大久保に臆する事無くタメ口をきけるのは、西郷と大山綱良だけだったようだ。

187: 日本@名無史さん
大久保を育てたのは、西郷だけどな。
始めは二人とも頑迷な攘夷論者だったが、島津斉彬の薫陶を受けて目を覚ました西郷が大久保たちの洗脳を解いた。

188: 日本@名無史さん
大久保を育成したその一事をもって、西郷は人類に多大な貢献を果たした。

189: 日本@名無史さん
その西郷を育てた島津斉彬はもっとすごいわけだな。
で、島津斉彬の眼鏡に適わなかったのが大久保というわけだ。

220: 日本@名無史さん
大久保のヒゲ、当時誰も突っ込む奴がいなかったのかよ

大久保利通

221: 日本@名無史さん
>>220
大久保の後継者と目されたも似た様な髭してるだろ。

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222: 日本@名無史さん
伊藤博文ものちのち、真似してああいうヒゲにしたし
伊藤博文
板垣退助もすげぇヒゲだったな

板垣退助

250: 日本@名無史さん
「子孫のために美田を残さず」は西郷の言葉だが
大久保も同じだった。

251: 日本@名無史さん
大久保が暗殺されたあと、子供達を扶養する為に大久保が生前あっちこっちに寄付した
金を取り戻して扶養に充てたって話。日本の政治家に武士道的な清廉潔白さが見られる
のはこの大久保あたりまでか…

346: 日本@名無史さん
木戸→大久保→大隈→伊藤→山縣
明治なかごろからは、伊藤と山縣の派閥が争っていた。
実質的な権力者はこんな感じかね。
木戸と大久保がでている間は、西郷を首班とする土肥政権だが、これは一時のことだし。

347: 日本@名無史さん
木戸が首班だった事なんて一瞬たりとも無いよ。

352: 日本@名無史さん
>>347
木戸は筆頭参議、明治政府の首班は誰かと言われれば木戸しかいない。
初期は大久保の地位は木戸よりぐっと下がる。
大久保が首班になれたのは、木戸が病気で引篭ったから。

357: 日本@名無史さん
パシリの伊藤が初代の総理だもんなぁ
世の中どうなるか、最後まで解らんものよ

367: 日本@名無史さん
大久保暗殺までは、政府≒薩摩だよ。
長州が政府を牛耳るようになるのは大久保の死後に過ぎない。

引用元: http://www.logsoku.com/r/2ch.net/history/1074219375/ 最強宰相大久保利通 その三

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