本田正信とかいう家康の謀将

本田正信
家康の謀略担当であり、ほとんどの謀略を担当していたとも言われる本田正信。その行動には、一向宗に参加して徳川家から離れたり、息子の正純に3万以上の加増を受けるなと言い聞かせたり、凡人にはなかなか理解しがたい、不思議な行動があります。
今回はそんな本多正信をまとめてみました。

1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/17(土) 22:25:09 ID:p0Bq/jPh
本多正信が好きで好きで仕方ない。

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/18(日) 18:40:41 ID:b94SOuZw
なんか苦労人なイメージがある。

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/18(日) 18:48:31 ID:vaKq7Zzi
武功派との対立があったんだろうね

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/18(日) 18:54:46 ID:j9iqM8B2
織田、豊臣の懐刀達に較べてパッとしない人物。

将器として戦国有数なのに影が薄い人物を豊臣秀長とするなら、
軍師として戦国有数なのに影が薄い人物が本多正信。

143: 人間七七四年 投稿日:2008/01/13(日) 16:53:38 ID:HoQl9ZwO
>>6
軍師て
政治家だろ

144: 人間七七四年 投稿日:2008/01/13(日) 17:33:11 ID:TQX6DUcP
>>143
戦国時代は政軍一体だから、政略も含めて参謀的働きをする人間を
軍師と呼んでも間違いではない。


8: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/19(月) 16:06:22 ID:9PTVnzhY
正信系の本多って松平にいつから仕えてるのかな?
忠正・正定・俊正は確実なのかな?

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/19(月) 17:03:08 ID:wSCkZ+g2
>>8三河物語によると(うろ覚え)
元々国人だった本多家は清康時代に降伏し家臣になったと思う。

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/19(月) 17:11:17 ID:9ULm4ZHu
忠勝系は
助時のとき三河国に引越し松平宗家二代泰親に属し、
三代信光の安城攻めに戦功があった。以来、代々松平宗家に仕え岩津譜代とされた。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/19(月) 17:17:39 ID:9PTVnzhY
私が疑問なことは、正信って本当に忠勝の同族なのかな?ということです
一向一揆に加担したり、ちょと譜代っぽくないんですよね

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/21(水) 17:15:39 ID:Yeuqi9Vb
>>12
寛永諸家系図伝には、清康時代、松平に属した忠正とその息子三人の戦死の記録があるから、
捏造を疑わなければ、その辺りから仕え始めたと考えて良いと思う。

正信が忠勝系と違和感があるのは、血族縁が薄いからのような気がする。
祖父の兄弟が戦死して、父親の兄弟もいないんじゃ、松平宗家を盛り立てるという以前に、
自分達の生活の方が困窮してそうだし。
そんな状況じゃ、遠い親類縁者より、他人でも真宗の講の繋がりの方が、正信にとっては
よっぽど確かで確実な扶助関係だったんじゃないかな。

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/22(木) 22:55:19 ID:c4rwt249
正信が家康のもとに帰参したのは、本能寺の頃でいいのだろうか。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/23(金) 00:33:39 ID:T2O/XUcT
色々説が有る。
三河一向一揆鎮圧後・長島一向一揆鎮圧後・姉川合戦前後・本能寺後。

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/24(土) 21:53:12 ID:RRkh3DAO
伊賀越えの時に家康に付き添ってたようだ。

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/25(日) 21:03:03 ID:UIeVdSgn
敵味方から腹黒軍師だの腸腐れだのと散々いわれて
まともに褒めてくれたのが家康と松永弾正だけってかなり微妙。

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/25(日) 21:11:31 ID:YukMO7q7
どっちも腹黒の代表格だな

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/25(日) 21:32:23 ID:4RKg5JwI
悪口を恐れないって立派な態度だと思うよ
人間褒められ認められたいもんだもん

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/07/08(土) 02:39:40 ID:xq/lO9hs
正信は徳川の謀臣として大往生。しかもちゃっかり菩提は西本願寺。
正重は一万石の大名になり政重は前田家の家老で五万石。

子の正純の人生悲惨杉。

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/07/17(月) 17:56:52 ID:3MSHSqgP
福島は正純がハメたって説もあるが

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/07/18(火) 16:16:52 ID:Fio7aWUO
福島正則の減転封は元和五年(1619)六月
本多正純の改易は元和八年(1619)十月正則をハメタ説はあっても、正純失脚のあおりを食うことはないかと

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/09/16(土) 00:59:21 ID:gQaiwoZk
「絶対に三万石以上貰うな」
という正純への言葉が正信という男の全てを表している。

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/10/28(土) 14:33:07 ID:ke2Z418q
>>50
本人は二万二千石に甘んじていたからねなんか太田道灌に対する父資清の言葉にも通じるんだよね

54: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/11/04(土) 00:38:36 ID:a4CoCryb
120万石の5万石だからな
筆頭家老なんだから普通だろ

58: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2007/01/11(木) 18:01:36 ID:00EvK8Id
本多親子は三国志の呉の諸葛親子に似てる気がする。
正信の清廉さとか正純の権力を持ちすぎた故の失脚とかね。

63: 名無し議論スレにて投票方法審議中 投稿日:2007/02/06(火) 18:55:26 ID:cjpK3C3s
所領も慎ましいが、官位まで小国の佐渡守とは。

77: 人間七七四年 投稿日:2007/05/03(木) 03:29:46 ID:fq/tZNCu
俺は正信好きだよ。
人気はなくて当然だと思うけど、最終天下人家康と相通じるしたたかさが正信にはある。
家康が与えようとする高禄を拒否し続けるあたり、バランス感覚いいな、と思う。

84: 人間七七四年 投稿日:2007/06/01(金) 21:57:13 ID:s8PPXTo0
正信ってどうしてもヒールのイメージが強い。
だけど俺はこういうキャラ好きだぜww
口数が少なく細面で冷静沈着だがとてつもなく腹黒く見えないところで巧妙に工作をしたり、頭の回転が早い頭脳タイプの悪役。
そして忠勝や正則のような筋肉馬鹿を毛嫌いしている。

92: 人間七七四年 投稿日:2007/07/18(水) 05:17:12 ID:flqOJ5fn
同僚から疎まれたことが多いらしいが、
当時の価値観としてそんなに槍働きが重要だったんだろうか?

93: 人間七七四年 投稿日:2007/07/19(木) 21:20:00 ID:qoWUZxFM
槍働きがないっていうか、むしろ家康に近すぎる上に持ってる権力が半端なかった
からじゃね?
おまけに邪魔なら恩人の息子(大久保忠隣)まで蹴落とすし。
それに、関ヶ原以降は武断派連中が遠ざけられていたし、やっぱりそういう連中は
中央にいる官僚派のことがムカつくわな。
たぶん、家康の考えだとは思うんだが、武断派連中はそれを官僚派、つまり
正信のせいにした、と。

97: 人間七七四年 投稿日:2007/07/25(水) 23:31:20 ID:/+sIoige
しかし放浪した父、叔父、弟と違い、最初に出会った家康がそのまま「当たり」主君だったために
以来とくに深く考えることなく全力忠勤できたともいえる。
家康死後にそのツケが一気に来たわけだが。

98: 人間七七四年 投稿日:2007/07/26(木) 04:36:04 ID:o5ZSAa21
正純が三成並みに清廉な人柄だったら、生き残れたものを。

99: 人間七七四年 投稿日:2007/07/26(木) 19:28:52 ID:qc63e15O
>>98
それは三成が生き残れてないことを踏まえて言っておるのかね?家康は確かに当たり君主だったんだろうけど、親父、祖父、弟、叔父がことごとく
家康に離反してるのがなあ。
弟の政重なんて、関ヶ原で家康の首狙ってたんだぜ。
むしろ、よくそんな環境の中で生き残れたなと言ってやりたい。

だいたい、親父の正信もどうやって家康の側近になったんだ?
鷹匠っていう軽輩+謀反のコンボだぜ?
大久保忠世のとりなしがあったらしいけど、よく家康も許したな。

101: 人間七七四年 投稿日:2007/07/26(木) 20:00:39 ID:j5g+nnYK
豊臣と徳川じゃ政権のあり方が違うからなぁ。徳川幕府みたいにきっちり組織作りをした政権の場合だと、三成みたいに仕事に
関して身奇麗な官僚タイプは使い勝手良くて生き残れた可能性も高い気がする。

102: 人間七七四年 投稿日:2007/07/28(土) 20:12:01 ID:LvCeIiX2
>>101
そうかな?三成の方が政治家臭がきついと思うが。
正信に比べても自分の派閥の利益を優先してるよ、三成は。

111: 人間七七四年 投稿日:2007/09/18(火) 01:30:49 ID:/o3lORwv
因みに豊臣家は豊臣秀長、竹中半兵衛、黒田如水、蜂須賀小六、浅野長政
石田三成、小西行長、長束正家、増田長盛、前田玄以、千利休

125: 人間七七四年 投稿日:2007/10/10(水) 15:54:41 ID:fuDTfHy6
幕政を親子二人で仕切ってた割には、正信と正純の間に仲睦まじいエピソードは
きかんなぁ。そんなイメージもないし。この親子そろっての逸話って、関が原で「秀忠の遅参は父の責任なんで
自分親父ぶった切ってきます。そんで秀忠を堪忍してください」
と正信の「三万石以上の加増はうけるな」っていう遺言くらいしか
聞かないし。

仲は良くも悪くもなしってとこなんだろうか。

127: 人間七七四年 投稿日:2007/10/14(日) 20:01:18 ID:LdQ/eKHh
>>125
しきってたって言っても徳川家の権力構造は複層的だからなあ。秀吉生前時の三成のような意味で
仕切っていたわけではないし。それにあの時代、ある程度以上の地位の武士の場合、父子の仲むつまじいエピソードなんてそんなあるかな?
「三万石以上~」なんて親心を示すエピソードが残っている以上、それなりに親子仲は良かったと考えていいのでは?

133: 人間七七四年 投稿日:2007/12/02(日) 15:35:58 ID:AvOG8XI/
最近じゃ、結構忠臣だったり硬骨の人だったりっていう描かれ方してるのかな?腹黒そうではあるけど、薄汚かったり意地汚かったりっていうイメージはないなぁ。

136: 人間七七四年 投稿日:2007/12/04(火) 23:15:37 ID:siCgqp5h
>>133
政治家としては腹黒い手法をいくらでも使ったけど、人間として廉潔では立派な武士だったそうだな。
ちょっと方向性が違うかもしれないが西郷隆盛もそんなだな。

149: 人間七七四年 投稿日:2008/01/14(月) 15:23:00 ID:4qjI7VOj
たしかに、家督継いだの正信が死ぬ直前だもんな。五十過ぎの跡取りか。
あと、次男政重に正純との兄弟付き合いを禁じたりしてるし、
秀忠には「息子に録の加増はせんでください」とまで言ってるし。
正信は家名存続について、全く正純のこと信頼してなかったんだな。

191: 人間七七四年 投稿日:2008/05/19(月) 14:08:18 ID:G413aIQI
本多正信だって2.2万石だぞ!
武功派に腰抜け佐渡とか言われたから印象悪いけど、
悪人じゃないだろ?

192: 人間七七四年 投稿日:2008/05/21(水) 00:48:01 ID:0N/l0roi
>>191
そこは文官としての自分自身を弁えていたんでしょ。
高禄を食むようになると必ず潰されると。
だから正純にも「高禄は辞退せよ」と言って聞かせた。
善し悪しではなく、人間は妬む生き物である、ということを知っていたんだよ。

197: 人間七七四年 投稿日:2008/05/24(土) 20:33:56 ID:fdvJwtl3
本多正純が失脚しなけりゃ、功ある本多家は大老に格上げされてたんじゃない?

199: 人間七七四年 投稿日:2008/05/29(木) 14:30:01 ID:M7hqLo6l
>>197
それはどうかなぁ・・・
やはり大御所(駿府)の寵臣というのは、江戸の秀忠中心の政治体制の中では
厄介者なんじゃないかな。

204: 人間七七四年 投稿日:2008/05/31(土) 04:48:28 ID:Xvhz53jg
親父の忠告無視して、禄に関して欲をかいた段階で、やっぱボンだなあって感じはするけどな。

205: 人間七七四年 投稿日:2008/05/31(土) 09:36:49 ID:AVybFe4L
>>204
禄は、欲がなくても、「受けざるを得ない」って状況もあるんだぜ。
そう言う状況を作ってしまうことが甘いといえばそうかもしれないが。

232: 人間七七四年 投稿日:2008/07/13(日) 19:37:09 ID:0eXG6aVc
正純を排除するということは、大御所政治の残滓や譜代とて容赦しないという
強い政治的な表明だからね。

249: 人間七七四年 投稿日:2008/07/24(木) 07:31:51 ID:25FC9hNA
大久保忠職ね。
再興できたのはやはり血筋でしょう。
家康―加納殿―大久保忠常室―忠職 という系譜なので、家康の曾孫にあたるし。一方、正純の系譜は孫の正之(嫡子・正勝次男)が3000石の旗本として再興したけど、
嫡流(正勝長男)の正好は赦免されないまま各地を転々とし、最後は旗本安藤家の郷代官。

257: 人間七七四年 投稿日:2008/09/10(水) 19:27:44 ID:cskoEvRg
家康と正信の死後、正純か速やかに退陣に表明していれば
改易だけは免れたのでは?
但し、宇都宮15万石の所領を維持できたとは思えないが。

258: 人間七七四年 投稿日:2008/09/10(水) 19:30:30 ID:q4JQeDWc
>>257
それはそれで秀忠への当てつけになる

259: 人間七七四年 投稿日:2008/09/19(金) 19:40:40 ID:LS7TnCBc
>>257
多少の減封はあったにせよ、大名家として生き長らえた可能性は高いですね。
しかし、正純は柳沢吉保のようにはなれなかった。
むしろ秀忠政権下でも同じような権勢を得られると思っていたようです。

334: 人間七七四年 投稿日:2009/03/16(月) 01:17:19 ID:EkZICQwf
後ろ盾がない吏僚なんて哀れなもの

387: 人間七七四年 投稿日:2009/09/29(火) 04:16:53 ID:Z/mzfin7
「こいつとは気が合いそうだ」
本多正純について 黒田長政

388: 人間七七四年 投稿日:2009/09/29(火) 23:30:37 ID:p61lcRTE
>>387
如水と正信を合わせたら天下統一も可能だったと思う。

391: 人間七七四年 投稿日:2009/10/11(日) 23:41:08 ID:h548WOJu
似た者同士で仲良く主君を担いで天下統一か、同族嫌悪で血みどろの政争を展開するか
のどっちかだと思う。
二人ともアクが強すぎるし

392: 人間七七四年 投稿日:2009/10/12(月) 07:29:24 ID:5tHxN1me
あんまり似てないと思うけどなー
同じ庶民感覚でも如水は商人視点、正信は農民視点
同じ切れ者でも如水は勢力としての存在感を誇示、正信は懐刀として汚れ役を負う傾向

418: 人間七七四年 投稿日:2010/08/22(日) 17:53:36 ID:6z609g94
長年に渡り家康を支えた連中も、なんだかんだで四天王の井伊家以外は江戸時代以降はぱっとしなくなったよね

420: 人間七七四年 投稿日:2010/08/23(月) 18:52:50 ID:QuHmtlB6
>>418
パッとしないって言うか、四天王の中でも特に忠勝の本多家と榊原家は、
家を永続させるため、あえて政治にかかわらない名誉家系ポジションにされた。井伊家は家格的にはそれらより一段劣ると考えられたため、幕政に関わった。

421: 人間七七四年 投稿日:2010/08/24(火) 10:46:55 ID:OAQvKpm5
>>420
官位や石高は井伊がトップなのはなぜだ?

422: 人間七七四年 投稿日:2010/08/24(火) 11:19:24 ID:6S0NSwWO
>>421
見せ金みたいなもの
井伊は遠江の没落国人、部下も甲斐の新参者
譜代の三河武士でなくても栄達できるという宣伝効果後は外国人部隊みたいに使い倒されている代償

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/24(土) 22:43:27 ID:RRkh3DAO
松永久秀に仕えていたという説もあるらしい。
事実ならすげえ組み合わせだな。

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/06/25(日) 21:58:42 ID:IfaQrYJI
>>24
((;゚Д゚)ガクガクブルブル

271: 人間七七四年 投稿日:2008/11/03(月) 08:05:38 ID:EsliPlcz
松永久秀と本多正信か。こいつらに狙われたら恐ろしいタッグだな。絶対殺られる。

272: 人間七七四年 投稿日:2008/11/06(木) 02:57:54 ID:clyEMUGw
>>271
実際、主従関係はどのくらいの年月だったんだろうね。
その後に加賀で一揆軍の参謀みたいなことをやってたんでしょ?

536: 人間七七四年 投稿日:2012/10/26(金) 14:37:25.10 ID:HqHUQdjL
正信は同じ匂いがする梶原景時や石田三成と違って、嫌われても自分を守る術を心がけてるところが凄いと思う。
まあ、亡くなったタイミングが良かったのもあるけど。

引用元: https://www.logsoku.com/r/2ch.sc/sengoku/1150550709/ 本多正信

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