田沼意次とかいう天才賄賂政治家www

田沼意次
賄賂政治で有名な田沼意次。政策としては日本で初めての重商主義政策を行う先見を得たもので、守旧派に賄賂政治家とレッテルを貼られました。
今回はそんな田沼意次を見ていきます!

1: 日本史板初心者 ◆e4mTResTmc
江戸時代最高の政治家だったと思うののは俺だけか?

723: 日本@名無史さん 投稿日:2007/05/05(土) 18:59:50
田沼が考えた財源は

天領や貿易、鉱山収入のみで天下の政治を仕切っていた幕府が、大名から徴税し、これを行政費に宛て、あるいは土地を担保に大名に貸し出して返せない大名からは土地を取り上げる、という封建制では画期的な新御用金令を発布した

支配勘定太田南畝、土山宗次郎らが、蝦夷地に鉱物資源があるというのでその噂を頼りに調査団を派遣(失敗)。その後、蝦夷地住民との交易や、寒冷地ではあるが蝦夷地は地味がよいので開拓の可能性も視野に入れていた

田安、清水を空邸→廃邸にして二十万石を収公せんとした

印旛沼開削工事により新たに水田を開くと同時に流通網を確保し安定的に江戸に物資が流れるようにした


412: 日本@名無史さん 投稿日:2006/07/24(月) 23:45:48
>>1
最高かどうかは別にして、国内産業の流れの隆盛を掴んでいたってところは
現代ならばもっと評価あっていいと思う。

18: 日本@名無史さん
沼田だか田沼だかシラネーけど、井伊直弼を忘れてないかい?
その存在感、凄みで井伊直弼圧勝!!!!

19: 日本@名無史さん
どうも賄賂政治家とかいうイメージが未だに根強いようだな。

21: 日本@名無史さん
閉鎖保守的な江戸時代にあって、田沼が行ったアグレッシブな政策の数々は
賞賛に値すべきでしょう。
守旧派の松平定信が全部元に戻してしまいましたが。

32: 日本@名無史さん
傾きかけた幕府の財政を立て直すためにやった経済政策は、当時には斬新過ぎて
頭の固い抵抗勢力によって挫折したんだよ。
それに賄賂というイメージがあるが、最近の説によると否定されている。
つまり私利私欲ではなく、国のこと幕府の財政を真剣に考えていた。

田沼意次は生まれた時代が100年早すぎたわけ。
1番でもないが、5本の指に入る政治家だと思う。

40: 日本@名無史さん
田沼=小渕恵三
松平定信=小泉

というイメージを持ってしまうが

42: 日本@名無史さん
田沼と定信は、どちらもヤル気は一応ある。
両者の決定的な違いは、経済への理解度。
マクロ経済において、倹約政策なんてものが害悪にしかならないことを
ある程度理解していた田沼と、そうでない定信。

43: 日本@名無史さん
定信は完全にピエロですな。田沼失脚の黒幕は一橋だし否定したはずの田沼の政策を踏襲せざるをえなかったり。

64: 日本@名無史さん
田沼の事実上の中央銀行構想と、蝦夷地開発構想は惜しかったな。
特に蝦夷地開発は、「えた」を強制移住させようとしていたから、部落差別も解消されただろう。
国家的な巨額の利益が得られたし、「えた」だけにとどまらず、北方の人口も激増していただろう。
北海道・千島だけにとどまらず、樺太も日本領土に収まっただろう。
つまらない男だ、松平定信。

66: 日本@名無史さん
>>64
松平定信は蝦夷地のロシアへの割譲も考えていたくらいだもんなぁ

71: 日本@名無史さん
田沼意次を主人公にした大河ドラマ希望

110: 日本@名無史さん
石田三成・小西行長にしろ田沼にしろ、経済感覚があるやつはどうも徳川に潰されるな。

131: 日本@名無史さん
田沼主殿頭以外に魅力のある老中は歴代中いない。
頭も一番良かったと思う。

133: 日本@名無史さん
定信はギャーギャー騒いでただけでそ。
一橋の方がたちが悪い。田沼に恩義があるの失脚を画策して。

134: 日本@名無史さん
上意によって削封、上屋敷召し上げられたわけだが、上意とは誰の思し召しなのか?
この時点で将軍職は空位だったはず

135: 日本@名無史さん
>>134
建前として、死んだ家治の「遺言」が上意。
まあ、眉唾なんだが。
一橋治済と御三家の言いがかりだと思う。
別に理由なんかなんでもよかったと思う。

138: 日本@名無史さん
恐ろしく頭が良く、実行力があった老職は歴代柳営中、田沼しかいない。
おそらく彼の門地が結局は仇となったとおもう。
一番切りやすかったのではないだろうか。

153: 日本@名無史さん
政治家っつっても実務能力が優れてるのか調整能力が優れてるのかで意見が割れるな。

185: 日本@名無史さん
江戸幕府って 将軍vs譜代だからね。

初代(家康)~3代(家光)辺りまで、将軍が頂点の権力者。

4代(家綱)で、将軍の力が弱くなって、譜代が強くなる。

5代(綱吉)で、譜代の力削減(側用人登場・・将軍権力の補佐)

6代(家宣)・7代(家継)でまた譜代が強くなる

8代(吉宗)でバランスが均衡(譜代=吉宗援立の臣 なので、譜代に気を使う)
で、譜代に対抗する為、紀州藩から家臣持ってきて側近にする。

9代(家重)でも譜代vs将軍(紀州系)は均衡。

10代(家治)で、側近の田沼が間隙をぬって権力頂点に立つ。
(譜代でも将軍一門でもない、紀州系の下克上みたいなもん)

だからこの時点で田沼の敵は、譜代と将軍一門両方だよ。
譜代の代表は松平定信で、将軍一門代表は一橋治済と御三家。
で、両派が一旦手を結んで、田沼を倒して、
次の権力闘争で、将軍一門が勝ったと見ればいい。

196: 日本@名無史さん
今の教科書にも賄賂政治とかなんとか書かれてるのかなぁ・・・。
田沼は賄賂ばっかで嫌な奴だったと思っている奴がいると思うと腹が立つ・・・。

蝦夷地検分ってだけでも(当時としてみれば)凄いことしてるのに、

197: 日本@名無史さん
むしろ賄賂を受け取ってくれる器のデカい良い人
大出世したので本当ならショボい賄賂なんて逆に邪魔くさいだけなのに

198: 日本@名無史さん
かといって田沼が清廉な政治家であったかのような言い草はおかしかろ、
それは歴史修正主義が陥りがちな極論。

全員が賄賂政治家だったんだから。 当時は。

200: 日本@名無史さん
水野出てもとの田沼になりにける

と詠まれるくらいだから賄賂が普通だったんだろうな
定信が奇人変人なだけで

202: 日本@名無史さん
「国」と「政治権力」の間に違いがあることを、現代でも理解できない人は大勢居るんです。
まして定信ちゃんの時代に、「国」「政治権力」「統治階級」の違いを
理解している人がどれほど居たことやら。

この三つを別のものとして認識する訓練を積んでるからこそ、
俺らは定信ちゃんを「馬鹿だ」と非難できるわけで
そういう考え方が無い当時には、どうにもやりようがないよ。

204: 日本@名無史さん
定信が老中になってからも、それまでの官僚は
田沼の政策を固持しようとしたというのがあったな。
つまり、田沼って自前の政策が、本当はなくて、側用人やって、調整役だった
ので、いろいろのブレインの考えを取り上げて、進めたんではないかと思うようになった。
で、政権が変わって、前のは悪いというのは常道だから、その責めを田沼が
一身で引き受ける形になった。

田沼も定信が死ぬ前に相良へ石高は少ないが、戻っている。

205: 日本@名無史さん
>>204
いや・・・田沼は一つ一つその場の問題を定信みたいに事なかれ主義じゃなくつぶそうとしてる後があるんだよ。
それに身分を問わず実力主義で人材を採用してるのでこいつだと認めたやつの意見を聞いたりするのは悪いことではないしやってきた功績を見る分に田沼を悪評価できるか?
側用人のいうこと聞いてるとしても採用するのは田沼だし実行した、それは見る目があったってことなんだから。

蝦夷地開拓の人選見てみろよ。当時の幕府の中でもこれっきゃないってほどのエキスパート集めてるよ。

206: 日本@名無史さん 投稿日:2005/03/23(水) 00:14:02
経済政策にしても意次本人じゃなくて配下の功績だっていう意見があったけど、
そういう政策を打ち出す人物に目をかけて政策を取り入れたのは意次だしね。
意次に政策がなかったとは言えないと思うな。
アメリカ風の俺についてこい的なリーダーシップと違って、日本人の指導者の
あり方って調整役としての能力が重視されるから。

209: 204 投稿日:2005/03/25(金) 09:11:37
>>206
意次に政策がなかったとは思わないが、以前の印象では、意次が一人で専横を極めた
ような話だったので、実はそうではなかったということを言いたかった。
持論をごりごりやっているだけでは、代が替わるところっと政策が変わるというのが
常と思っていたけど、意次が辞めた後も、残った人が継続しようとしたというのを
知って、ああ、そうだったんだ、そうでなきゃ長続きしないなと思ったわけ。

御前崎へ行ったとき、相良は素通りしたけど、機会があったら寄ってみたくなった。
知らないというのは情けない。

207: 日本@名無史さん 投稿日:2005/03/23(水) 10:07:43
田沼意次の失脚のきっかけになった天明の大飢饉だが、日本全体での米の収穫
はそんなに減ってなかったという説を見たことがある。
商業化の流れの中で換金作物として米を売り払ってしまった藩(津軽藩とか)、
逆に米を買い占めて米価高騰を引き起こした藩(定信ちゃんの白河藩とか)など
人災ともいえる部分が結構あったとか。

252: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/14(火) 10:25:59
田沼が武家社会の中では異例の昇進を遂げたから。

自分の地位の根拠が家柄しかない連中の妬みですよ。

259: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/16(木) 23:43:19
賄賂と言うか今のお歳暮なんかと同じ感覚じゃね?

261: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/17(金) 09:45:38
>>259
感覚はそうかも知れないが、礼を尽くすような感じがもう少し強い感じ。
山本博文氏の江戸お留守居役の日記では、いろんなことで老中や町奉行にお願い
をするとき進物を贈っている。用人にも付け届けをしている。

いくさで家来が手柄をたてると恩賞を出しているが、それと似て仲介の労をとって
もらったりすると反対給付のように出している感じがある。
藩からのお願いの筋があるなら老中などが当然それを処理するとのいわば職務規定
があり、それに対して禄高が決められているならそういうことにならないだろうが
禄高は幕府への貢献に対する反対給付であって、各藩の願いごとは好意で処理して いるため別途業務と考えられていたように思われる。
老中が変わると今度はどなたにお願いすればいいかと聞いたりしてい
る。 

291: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/17(日) 00:13:56
もちろん生産も大事だけどね。
田沼は蝦夷地開発、手賀沼・印旛沼開拓と生産のほうも着手してる。
流通が同じくらい大事だと理解していただけ。

天明の大飢饉のときも他の地域では食糧は余ってたというし、ソ連の飢餓問題は=流通問題だった。

293: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/17(日) 09:33:34
松平定信は天明飢饉の際、隣藩の奥州会津、野州宇都宮などからも手広く米を買いあさった。
その結果白河の領民は救われたが他藩はそれだけ米不足に泣いたわけで会津の松平肥後守、宇都宮の戸田日向守から苦情が出たわけだし、
また自分の希望で白河から桑名へ国替えなどやることがかなり自己中

310: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/28(木) 13:49:13
松平定信が将軍になっていたら、もっと悲惨なことになっていただろうから
寛政の改革が数年で終わって良かったことだ
一橋治済が彼を養子送りにしたお陰だな

331: 日本@名無史さん 投稿日:2005/10/13(木) 21:48:05
贈収賄大好き。

333: 日本@名無史さん 投稿日:2005/10/30(日) 01:26:48
>>331
当時も今も政治家はみんなそう。
あの松平定信も賄賂贈ったくらいだし

342: 日本@名無史さん 投稿日:2005/11/02(水) 18:38:33
三大改革の時代は、贅沢を禁止したりして、消費を冷やす。
つまり不景気な時代だった。だから経済も悪化した。
田沼の時代は贅沢を認めたインフレ時代。経済は拡大した。
全体から見ると、田沼時代の方が景気が良かった。

419: 日本@名無史さん 投稿日:2006/10/23(月) 04:06:20
田沼政治が続いていれば、諸大名の領地は軍事力ではなく経済力をもって徐々に幕府に吸い上げられ、蝦夷地開墾により、國が豊かになり、また対露外交が有利になったことは異論の余地が無い

420: 日本@名無史さん 投稿日:2006/10/23(月) 06:34:23
けど当時の技術力でどれだけ蝦夷地の開墾が可能なん?

424: 日本@名無史さん 投稿日:2006/12/18(月) 18:36:30
>>420
米では無理だな。
てか、田沼なら沿海州との交易くらい考えてたんじゃねーかな。
北海道はその基地として、拠点港だけ抑えた間接統治、自力で開拓するほど農業に執着なさそうだ。

443: ○「本能寺の変、425年目の真実」 投稿日:2007/02/14(水) 11:07:35
田沼意次を許す幕府。

○二十年間で二千億円の賄賂を集めた。
○天明大飢饉の最中に、米だけで七百億円をあちこちにため込んでいた。
○金銀反物は、屋敷に満ち、その数を知らず。
○大奥の美女らとはスキャンダルの数々。

島津家は長さ六メートルの銀の舟に金銀細工を万杯にして贈る。
井伊家は九尺四方の金銀製の箱庭を贈った。

461: 日本@名無史さん 投稿日:2007/03/22(木) 23:21:37
田沼意次は老中を罷免されたとはいえ、御用取次は田沼能登守意致、横田備中守準松、本郷大和守泰行らことごとく田沼派で占められ、
老中たちも松平周防守康福、水野出羽守忠友は大奥に繋がりを持っており、大奥まで挙げて定信の老中就任を阻もうとします

541: 日本@名無史さん 投稿日:2007/04/16(月) 22:30:30
田沼意次と聞くと、俺は田中角栄を連想する。
門閥のない小身上がりの意次と、学閥のない角栄。
ともに政策能力は抜群で、実力でのし上がってきた。
それだけに強引さもあった。
意次同様角栄といえば、汚職と結びつけやすいが、
彼の資源外交は将来を見据えて国益に叶うものだった。
国際石油資本と彼らをパトロンにするニクソン米政権を敵に回して、
ロッキード事件を暴露されるという謀略に嵌まったが、
この過程も、意次の失脚の経緯に酷似している。

560: 日本@名無史さん 投稿日:2007/04/19(木) 18:09:34
一族
田沼山城守意知(長男。若年寄)/田沼能登守意致(甥。御側御用取次)
三浦荘一(田沼家用人)
同僚など
水野出羽守忠友(駿河沼津藩主。勝手掛老中)
松平右近将監武元(上州館林藩主。老中)/松平右京大夫輝高(上州高崎藩主。老中)
松平周防守康福(石見浜田藩主。老中)/井伊掃部頭直幸(近江彦根藩主。大老)
阿部能登守正敏(武州忍藩主。奏者番→大坂城代)

部下
松本伊豆守秀持(勘定奉行)/川井越前守久敬(勘定奉行)
石谷備後守清昌(長崎奉行→勘定奉行)/曲淵甲斐守景漸(大坂西町奉行→南町奉行)
佐野備後守政親(大坂西町奉行)/稲葉越中守正明(御側御用取次)
本郷大和守泰行(御側御用取次)/横田飛騨守準松(御側御用取次)

政敵
佐野善左衛門政言(旗本)/松平越中守定信(奥州白河藩主)
徳川家斉(十一代将軍)/一橋民部卿治済(御三卿)
種姫(松平定信姉)/徳川宗睦(尾張藩主)
徳川治貞(紀州藩主)/徳川治休(水戸藩主)
————————–
清水宮内卿重好(御三卿)/徳川家治(十代将軍)

563: 日本@名無史さん 投稿日:2007/04/20(金) 10:30:19
田沼意次より水野忠篤のほうが権力あったと思います。

567: 日本@名無史さん 投稿日:2007/04/20(金) 15:25:58
権力という点では多分意次のほうが格が上だと思う。

571: 日本@名無史さん 投稿日:2007/04/21(土) 01:36:31
もともと譜代大名の家柄でない者が老中になるのも初めてなら、
側用人を兼務したまま老中になるのも初めて。
それだけ意次に対する将軍家治の信任が厚かったんだろうが、
その分、門閥派の妬みと恨みを買ってしまったんだろうな。

575: 日本@名無史さん 投稿日:2007/04/21(土) 12:03:13
改革志向の強い将軍は、綱吉、家宣、吉宗、慶喜など成人後に他家から入った連中だ。
(15歳と13歳で入嗣した家斉と家茂は、政見を持ちまでに至っていない)
彼らはいずれも将軍の有力後継候補として、政権構想をずっと温めてきた経緯がある。
そうした彼の下では、側用人も将軍の意を迎えることに汲々としがち。
その点、家治は生まれながらの将軍として、聡明の聞こえ高いが、温厚に育って果断な政治を
自ら断行する気力に欠けた。
だからこそ、家重の遺言もあって、有能な田沼意次を信頼し、彼に政治を委任した。

462: 日本@名無史さん 投稿日:2007/04/03(火) 19:14:40
俺も田沼意次は天才だと思ってた。やはり天才は不遇なのかね

引用元: http://www.logsoku.com/r/2ch.net/history/1078337754/ 田沼意次について語るスレ

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。