織田信長が偉大過ぎるという日本地図。戦国時代地図を10年ごとに見ていった結果!!

戦国時代。日本史上最大の混沌が生まれた時代で非常に人気の高い憧れのある時代です。

そんな戦国時代の領土の増減を、応仁の乱から約10年ごとの経過を見ていきたいと思います。
参考文献

1467年。応仁の乱。享徳の乱、綺麗さっぱり東西に分かれています。この地図だけを見ると、東軍(青色)が京周辺を抑えていて圧倒的に有利に見えるのですが、これが10年も続く大乱になり戦国時代のきっかけになるとは誰も予想していなかったでしょうな。のちに有名な大名家となる、武田、上杉、今川などはこの時代にもすでに存在していたようです。


応仁の乱は平定されたもののまたまた政変が起きます。細川政元(細川勝元の子)が京周辺のエリアを抑え実権を握っているのがわかります。

1500年。関ヶ原の戦いのちょうど100年前のこの時、細川政元派将軍派で喧嘩しています。まだ織田なんて文字は全く見当たりませんね!

この10年間でなんと3回も政権が入れ替わります。細川政元が倒れ、その跡取りの養子3人が喧嘩を始めます。

それから10年経ちました。まだ中央では細川家の跡目争いを繰り広げています。そんな中尼子が独自に領土を広げ始めました。

1530年です。まだまだ細川の跡目争いが起こり続けています。ずっと喧嘩中です。応仁の乱が始まったのが1467年ということでこの時点で63年間争ってます。そりゃ嫌気さす人も続出しますわな。。。生まれた時からずっと戦争してましたって人も多そうです@@

1540年にして、ついに織田の文字が地図上に出てきました。この時代は信長の父の信秀の時代ですね。とはいえまだまだ弱小勢力でありました。毛利元就の名前も出てきていますが、まだまだ大内氏の家臣でした。

1550年。毛利元就独立。まだ織田信長は出てきておりません。三好三人衆が政権を握っていました。

1550年からの10年間の間に織田信秀が倒れ、織田信長が尾張を平定し桶狭間で今川義元をやっつけます。1560年でやっと赤色のエリアが織田信長の領土です。この時点で織田信長が後に天下人になるなど誰が予想したでしょうか。

さらに10年経つと、あっという間に織田信長の勢力が広がっています。だんだん色の数(=勢力の数)が減ってきているのがわかります。もともと緑エリアの大半も信長の支配下になっていたのですが、反信長包囲網で敵になります。最後の室町将軍、足利義昭恐るべきですねー!

本能寺の変前夜。もう完全に中央は織田が握ってます。この時点で織田の石高は700万石だったそうです。徳川時代の天領が400万石なので、いかに織田の勢力が大きいかわかります。(機内の石高は他とは比べ物にならないぐらい大きいです。)

明智光秀が謀反を起こし秀吉勝家に分裂します。徳川もどさくさに紛れて領土を拡大していきます。

秀吉が勝家をやっつけます。織田全盛期とは言わないものの、7割型秀吉の手中に収まっているのがわかります。

そして8年後の1591年。あっという間に天下統一です。

関ヶ原でせっかく統一された色がまたまた2色に分裂し、

1615年に豊臣家が滅び、徳川の手で再統一されるのでした。

ということで戦国時代の領土分布をざっくりと見てみました。織田信長は機内を手に入れて10年も経たずに大幅に領土を広げているのに対し、伝統ある細川家や将軍家は60年とか戦っても再統一を果たすことはできませんでした。この違いって一体なんなのでしょうね!




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コメント

  1. 名前:ナショナリスト 投稿日:2017/01/05(木) 21:34:27 ID:4fc19bf21 返信

    才能の違いでしょうなぁ。信長、秀吉、家康は格が違いますね

  2. 名前:匿名 投稿日:2017/04/05(水) 13:06:33 ID:1b7ecf732 返信

    >のちに有名な大名家となる、武田、上杉、今川などはこの時代にもすでに存在していたようです。

    >機内

    少しは勉強したら(笑)

  3. 名前:匿名 投稿日:2017/05/08(月) 15:20:12 ID:ab1d86af1 返信

    勉強したいのですが
    字が小さ過ぎて読めないです。
    なんとかなりませんか?

    • 名前:管理者 投稿日:2017/05/08(月) 16:02:35 ID:b1508e6c2 返信

      読み込みを早くするために画質を落としていたので、元のものに置き換えてみました。
      拡大すると多少なり読めるようになったとは思います。
      ただ、引用元画像そのままの画質でこの文字サイズで、これ以上は綺麗にならないです。

  4. 名前:匿名 投稿日:2017/05/09(火) 10:40:35 ID:5626a60f7 返信

    ありがとうございました。
    なんとか読めます!

  5. 名前:匿名 投稿日:2017/06/20(火) 03:20:09 ID:c86f2a375 返信

    本家を乗っ取ってから薩摩統一するまでは島津本家、伊作家(義久や義弘のとこ)、川上家、北郷家、肝付家、伊集院家などが争っていた島津領がずっと同じ色で、
    大友に従属していた時期の龍造寺の配色が大友と異なるというのはちょっと「えっ?」と思いました(戦では大友が勝ったものの依然、国力差は大きいので半従属している)
    配色の基準が曖昧なので武田や毛利などの国人領主の連合体に近く支配力の弱い大名も含め形式上一人の君主に従っている場合は総じて同じ色にする、もしくは国人の権力をそぎ落とし中央集権化している大名のみ一つの色にした方が納得できます。

    それと与力大名の佐々家や前田家(実際裏切ったし)などが柴田家と同じ色で塗られてるのも変では?
    あとは関ヶ原の時の勢力図でほぼ筑後半国を領していた小早川家(乗っ取られていない方)の名前も書いた方がいいかと…
    家名や養父が同じなだけで実情としては豊臣一門の秀秋と毛利一門の秀包を同じ小早川でまとめるのはちょっと…

  6. 名前:匿名 投稿日:2017/07/26(水) 14:56:58 ID:86985bfed 返信

    1510は長尾景虎(のちの謙信)でなく、その親父さんの長尾為景ですね

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